確か『あぶさん』(野球マンガ)の50巻あたりだったと、思う。
若い選手たちに、「なぜ景浦さんは、インコースが得意なんですか?」というように、あぶさんが質問された。
それに対して、あぶさんが「俺はもともとインコースが好きだった。」というように語り出す。
「俺はあんまり器用な方じゃないから、苦手なコースを練習するより、好きなイ ンコースならどんな球でも打てるように練習した。」と。
なるほど、苦手なことを克服しようと努力してあがくより、得意なことをもっと得意になった方がいい、ということである。
「私の得意なことは、何だろうか?」と、考えてみる。
「私の好きなことは、何だろうか?」とも、考えてみてもいい。
けん玉・コマ・手品は、好きだし、得意ともいえる。全般に室内遊びは得意である。(その逆に野球や格闘スポーツは苦手。)
授業としては、何が得意なのか。
どちらかというと、授業参観を好んでしまう。演劇を好きだったせいか、ショー的なものに憧れがあるように思える。
それが、研究授業となると、制約が多くて、さっぱりダメだ。
教科では、国語と算数が好きだが、教えるのが好きというほどでもない。
プリント作りで、自学ワーク・ドラマワーク・お絵かき計算ワークなどは、アイデアが発揮できて、楽しかった。
ようは、自分のアイデアを見せる形のものを好むようだ。
自己顕示欲強し、というところであろう。
教科の中でも、得意なことと苦手なことをもっと絞って考えてみては、どうだろうか。(こうやって、考えながら書くのが好きだ。何が生まれるかわからない楽しさがある。)
ところで、こういう文章は、二連休の一日目だからこそ、書ける。
もし、これが学校から帰ってきた日であったり、明日に授業をひかえていては書けない。まずは、責務をという意識になってしまう。心が義務感で縛られてしまうわけである。
現実を考えるとき、「かけ算を覚えていない子に、どうやってかけ算をおぼえさせるか」「漢字をもっと効果的に覚えさせる方法はないか」という考えで、いっぱいになってしまう。(今も、なってきたぞ。)
でも、時には、得意なこと好きなことで、実践を考えてみるのも、いいと思う。『エースをねらえ』(テニスマンガ)の中で、「穴のあいたバケツにいくら水をいれても同じことだ」という話があった。やっぱり、苦手も克服しないといけないのかもしれない。
(1998.1.24)