学習参観のツーエピソード

 学習参観で「手話の授業」をした。以前、5年生にしたのと、ほぼ同じ内容である。特に失敗もなく、予定通り授業も終わった。しかし、少し落ち込んでしまった。何か物足りなさを感じてしまったのである。
「アイマスクの授業」の時には、実際に目隠しして歩くことで、子どもの心を揺さぶったようなところがある。しかし、今回の手話の授業では、ジェスチャーゲームをしたり、手話の歌もうたったが、どちらかというと、遊びだけになってるような気もする。でも、考えようによっては、手話というものがあるんだよ、と楽しくわかれただけで、よしとすべきなのかもしれない。
 現状をよし、とできないところに、私のマイナス思考があって、それが実践の暗さとなってしまうのかもしれない。
 どうも最近、子ども達に力をつけてないな、というところばかりに目がいってしまうのである。焦っているのだ。
「こんなことができるようになったんだね」と、ほめれるようになりたい。
 さて、参観の中で2つのエピソードを紹介する。
 1つ目、ある男の子が「エロ本、エロ本」とくり返し言い出したことである。この日は、その子の身内は誰も来ていず、そのことが、この子に影響を与えたのだと思う。よく立ち歩いてもいた。
 最初は、聞き流していたが、言い止める様子がないので、その子を立たせて、『エロ本とはどういうものですか?』と、質問した。
 すると、その子は黙ってしまって、答えない。(これは予想通り)
『言いたくないんですか?』と、問い返すと、
 その子はうなづくので、
『言いたくないようなことは、言わないようにしなさい。』と言ってすわらせた。
 2つ目は、『手話を使う人は、どんな人ですか?』の問いにかかわってである。
 発表の中で、「しゃべれない人」と「耳が聞こえない人」が出された。
 その次に、ある子が「目が見えない人」と言った。
 教室の中に「えっ!」という雰囲気が流れた。
 そこで、私は『○○くんの意見が正しいと思う人は○、おかしいと思う人は×をつけなさい』と、指示をした。
「目が見えない人」と言った子の顔が曇っていたので、私は「まずかったかな」と思ったが、つきすすんでみた。
『○○くん、○と×とどっちが多いと思いますか?』
 その子は、暗い顔で「×。」と、つぶやいた。
 そのあと、全員に○か×か聞いた。全員が×に手をあげた。
 しかし、ここで、あることを私は思いだして、「やったー」と思った。
 まず、×の子に理由を言わせた。「目が見えなかったら手話も見えない。」というのが出された、もっともな意見だ。
 しかし、このもっともな意見をくつがえせる事実があるのです。
『みんな、ヘレンケラーという人を知ってますか。』と私。
「知ってる」の声がどこかから。
『ヘレンケラーは、目も見えなく、耳も聞こえなく、しゃべることもできませんでした。では、どうやって話したかというと、手話で話したのです。他の人の 手にさわって、何を話してるかを知ったんですよ。』
 そこで、黒板の「目の見えない人」の意見をさし、
『だから、○○くんの意見は、正解なんですね。』
 まちがいと思われた意見が、正解だった。まさに、逆転現象である。
 でも、最初は、私も○○くんの意見をまちがってると思っていた。でも、学習参観の中だから、なんとか顔をたてれないかと考えたことで、ヘレンケラーを思い出すことができた。「学習参観よ、ありがとう!」という気持ちである。

 ところで、今回の学習参観で、私は親を無視してしまった。何ひとつ、参観者に向けて、声をかけなかったのである。
 廊下にいる人に、「寒いからどうぞ、中にお入りください」とも言わなかったし、「参観されてるみなさんは、どう思いますか」という問いかけもしなかった。 このクラスをもったこれまでを振り返って、私は親というものを当てにしなさすぎたのではないか、と思う。

(1998.1.27)