昨日、野口芳宏氏の道徳実践を追試した。(『硬派 教育力の復権と強化~学校機能復活への直言』(明示図書)より。)
科学がもっと進んだら、地震をなくせると思いますか。
4人ほど、直接聞くと、それだけで「できる」「できない」に分かれた。
手をあげさせてみると、半々ぐらいに分かれた。
その後、「嵐」「雷」についても聞く。多少、散らばりに差があった。雷は、ほとんどの子がなくせないに、手をあげた。
『地震・嵐・雷、これらをまとめて、何というか知ってますか。』
「自然災害。」が出る。
『そうです。短くいうと、天災です。』
まあ、詳しい実践は、野口氏の原実践を読んでいただいた方がいいだろう。
その後、次のように、展開していく。
・『では火事はどうか。人間が注意したり、科学が進んだりすれば、火事はなくなると思いますか。』
・『なくした国はありますか。』
・『いじめはなくせると、思うか。』
・『戦争は、なくせると思うか。』
・汚職の言葉を問うてから説明したあと、『汚職はなくせると思うか。』
・『戦争・火事・いじめ・汚職を天災とは反対の言葉で、何というか。』
これは出なかった。「人災」である。
天災はなくせない。しかし、人災はなくせるんじゃないかな。
今日は、人災の中のいじめについて考えてみよう。
ここで、もう一度、『いじめは、なくせると思うか。』を○×で問うた。
○が19人。×が8人。(少し楽観的である。)
・『いじめられたことのある人?』
挙手で聞いた。ある人の方が多い。どっちか考えこんでる子もいた。
いじめにあったらどうするか。プリントに自分の考えを書きなさい。
・にげる。(南) ・やりかえす。(小野)
・がまんする。(田中) ・反げきする。(久保)
・ていこうする。(垣内) ・ボコボコにする。(坂本)
・やりかえす。やりかえすことができなかったら、先生、親に言う。それでもまだいじめが続くならその子の家にいって暴れる。
(包丁を持って)(大迫)
・先生にいって、みんなで話してやめる。(大原)
・先生に言う!(藤田) ・親にそうだんしてみる。(高山)
・先生に言う!(佐藤) ・親とか先生にいう。(橋口)
・親にいう。(榎田) ・注意する。先生言う。(川口)
その他は「わからない」か書けていない子である。
人まかせの子もいるが、ちゃんと闘おうとする子もいるのは、たくましい。
『「注意する」と書いてる子がいました。「注意したら」、いじめてる子がいじめ をやめると思う人?』
これは、思わない人が圧倒的に多かった。(これが現実というものだ。)
いじめというのは暴力だ。いじめる方が強い。いじめられる方が弱い。
暴力に対しては暴力で戦うのだ、という考え方があります。
そういう考え方は危険だと思うなら×、時にはそれだっていいんだという人は○をつけなさい。
これは半々。やや○が多かった。時には暴力には暴力で戦っていい、という考えである。野口さんが実践した学級では、○が4分1だというから、それと較べると、内のクラスは現実を見据えていると、いえるかもしれない。
そのあと、下村湖人『次郎物語[第1部]』(偕成社)の「窮鼠」の一節を読む。次郎が力の強い2つ年上の乱暴者に押さえ込まれた時、そいつの膝頭を噛んで、勝った、という場面である。
次郎のといった行動は、○か×か。
暴力に対して暴力がいけないなら、これも半々ぐらいになるはずである。
しかし、○は24人、×は3人(大原・久保・渡瀬)だけになった。
その3人『では、次郎はどうしたらいいですか。』と、聞いてみた。
「止めろと、言う。」
『止めろと言ったら、止めてくれたと思う人?』誰も手をあげない。その逆を問うと、バッと手があがった。
「大声を出して助けを呼ぶ。」というのも出た。
『そうすれば、今度からはいじめられないと思う人?』これも逆が多かった。
最後に、次のようなことを語って、授業を終えたのである。
『世の中に、悪はなくならないよ。今だって、どこかで人を殺す相談をしている人もいるんだ。悪を断じて許さないという強さが、ひとりひとりの心の体の中になかければ悪には勝てないよ。』
(1999.1.17)