本を読んでいても、この知識や表現が今書いている本に使えないかな、と思ってしまいます。
アウトプットを想定しながらインプットする感じです。
P・フレイレは、近大教育を「銀行型教育」と表現した。言い得て妙な表現である。銀行型教育とは、銀行でせっせと貯金をするように、教師から与えられる知識を子どもたちがせっせとため込む教育ということになる。こうした教育は、垂直的な構造をもった授業によって支えられる。上に立つ教師が、下にいる子どもたちに知識や技術等を授けるという授業がそれである。
八木正一・上條晴夫『これだけは身につけたい授業づくりの基礎・基本』 学事出版2005.7.15 P.34
銀行型教育、大いに結構です。
ただ、ため込んだ知識をはき出させる拡散的発問と、活用する集中的発問で授業もしたらいいのです。
教材の並べ方の原則を最初に考えたのは「学校教育の父」と呼ばれているコメニウスである。コメニウスは「印刷」を使うことによって効果的・効率的な学校教育ができると考えた。つまり「印刷メディアを最大限活用する方法論」を考え出したのである。
要するに「教材は単純な要素的な知識から複合的な知識に向けてリニアーに(単直線一方向的に)配列される。具体から抽象へ、既知から未知へ、感覚から知性へ、小さな全体から大きな全体へ、実物から言葉へ、特殊から一般へ段階的に進行するのが、よい授業ということであろう」(加藤尚武著『先端技術と人間』) 前述書P.87
P・フレイレのこともコメニウスの言ったことも加藤尚武氏のことも、私はこの本を読むまで知りませんでした。
でも、ここから得た情報から、原点を探して、その本から引用すれば、さも私が、フレイレやコメニウスを日頃から読んでいるように思われます。
これはまあ、はったりなのですが、多くの人を取り上げて書くのは、権威づけもあるし、読者の幅を広げることにもつながるのです。
コメニウスに興味がある人が読めば、(この作者は私と同じでコメニウスのことを勉強してるのか)と、作者の私に対して、親近感を抱くことができます。
私も経験があるから、それが分かります。
たまたま読んでいた本に、自分が読んだことのある本が引用されていると、とても嬉しくなってしまいます。(あまりみんなが知らない人の方が効果的です。)
(2006.1.5)