読解力と集中的発問

 国語で何を教えるか。久保先生が断言します。
「文から情報を得ることと、自分の思いを文で表すことです。」
「読書好きの読解力なし」は、文から勝手な情報を取り出してることになります。
 筆者の意見を読みとれることが読解力なのです。
 それには、教師の問いの答えが、明確に一つでなくてはいけないようです。
 このことを拡散的発問と集中的発問に当てはめてみます。
 作品を読んで思ったことを言わせるのは、拡散的発問で。
 作品を読解するためには、集中的発問で。
 自分の思いを文で表すことは、拡散的発問でもできそうです。
 要するに、読解力をつける要は、集中的発問にある、ということになります。
(論理性はないのですが、とりあえず、そうだということにしておくのです。)
 今の国語教育は、話す聞くに重点を置いています。でも、それでは、文から情報を得る力も、自分の思いや考えを文で表す力もついていきません。
 自分の話すことを文章にしてみると、いかに底が浅いかが分かります。こうして書くことで、思考が練られていくのです。
 聞くだけでは何も残りません。聞いたことに対する自分の思いや考えを書きとるからこそ、人の話が生きるのではないでしょうか。

(2006.1.15)