震災の日に

 昨日は1月17日。震災の追悼記念日です。
 この日に、甲本先生の震災とボランティアの授業を3学級で追試しました。
 6年・3年・5年それぞれ全ての学年で追試可能でした。
 いつものようにマルチ発問を組み入れました。震災の被害写真を数枚見せた後、
「地震が起こって困ることは何ですか。5つ書いて持ってきなさい。」
と問うたのです。設定として、地震で生き延びた人が困ること、としました。
 ここまでに見せた写真は、「高速道路の倒壊」「家屋の倒壊」「電車の脱線」「店の倒壊」の4枚です。困ったことを想定させるために見せたのです。
 1枚目の「高速道路の倒壊」の写真を見せると、すぐに何の写真か子どもは気付きました。日付の1995年1月17日だけでなく、地震の発生時間も子どもに聞くと、5時46分と答えられる子がどの学年にもいたのです。
「今日の5時46分に起きていた人?」この時間を子どもの生活とつなげます。
 起きていた子に何をしていたか聞きました。ゲームをしてた、本を読んでいた、ボーッとしていたと様々です。でもたいていの子は寝ていました。
「みんなが寝ている時に起きた地震ですから、一瞬の内に多くの人が家に埋もれて亡くなってしまいました。」
 3枚目の「電車の脱線」の写真を見せた時も、次のように問いかけました。
「地震の起きたのが、もう少し後だったら、どうなりますか。」
 子どもがあっと思う瞬間です。
 このようにイメージを広げてから、困ることを書かせたのです。

【6年生】
・さむい(高島)→同じ日、この寒さをイメージしやすい。
・余震でまたゆれて家がくずれてくる。(田中)→避難が必要。
・着る服がない。(神谷)         ・知り合いが少なくなる。(舩倉)
・連絡がとれなくなる(小島)       ・体育館ですごさなくちゃいけない(小西)
・仕事にいけない(石田)→車も電車も使えない。遠くの仕事場へ行けない。
・のみ水が少ない(乾)→風呂にも入れない、トイレの水も流せない。
・学校に行けない(荒田)→「嬉しい人?」中学3年、高校3年は受験で大変。
・電車に乗れない。(糸井)→食料が届けられない。
・コンビニエンスストアもしまる(奥原)  ・食べるものがなくなる(早川)
・安全な場所へ移動しないといけない。(浮島)
・電話がつながらない。(阿河)      ・たすけがかんたんいはこない(三宅)
・ひなん所がせまい(藤本)        ・店がつぶれて商売ができなくなる(山本)

 板書された一つ一つの意見を私の方で広げて話しました。担任をしていた時、5年の子が神戸から転校してきたこと、その子の住む12階建てマンションの1階つぶれ、2時間かかって脱出したこと、そしてテーブルの下で寝るようになったこと、なども話したのです。

(2008.1.18)

「震災とボランティア」は、甲本先生の2本の授業を続けて追試しています。
 1本目は、少年事件の新聞記事を3点見せた後、「日本の未来は明るいか暗いか」を聴き、その後に、震災の中で暴動を起こさず行動した被災地の人々や、たくさんの方がボランティアとしてやってきたことを伝えていきます。
 外国の場合の例として、2005年8月の巨大ハリケーン・カトリーナを挿入しました。この時、アメリカではコンビニを起こすなどの強盗・暴動が多発し、州知事の射殺命令まで出たのです。
 1本目の授業の終わりに「ここまでで感想を書きましょう。」と指示しました。

・外国では、店の物をぬすんだりしていたのに、日本では、ならんで、順番を待っていたのがすごいと思った。ボランティアがなければ、もっと多くの人が、助からなかった。(浮島)
・日本人は、赤の他人なのにもかかわらずにオニギリをくばったり、しる物をあげたりしていることは、すごいと思う。(石田)
・阪神あわじ大震災のとき、今とはちがって、たすけあったりして、みんなが協力していたし、ちゃんと決まりを守ってきれいに列になって順番まちをしていたことが、すごいと思った。今の人にも、その時の人々みたいに、たすけあってほしいと思う。(舩倉)

(2008.1.19)