「空気入れのいらない自転車」の授業で、逆転の発想についての例を授業の中で、私は考えました。浮かんだのが次の内容です。
ワットの蒸気機関を運輸手段に応用するとき、多くの技術者がまず考えたのは「馬のように地面を蹴って前進する機関」でした。それまでの運送手段はすべて「何かが車を引く」という構造でしたから、因習的な想像力が「鉄の馬」の設計に向かったのは少しも怪しむに足りないのです。スティーヴンソンは「何かが車を引く」のではなく、「車輪それ自体が自転する」機関車を構想しましたが、これは「コロンブスの卵」的な発想の転換だったのです。
上記の文章は、内田樹氏の『寝ながら学べる構造主義』(文藝春秋H14.6)の中に書かれていたものです。
ちょうど、今日の朝、電車で読んだところだったのです。
「空気入れのいらない自転車」での逆転の発想は、空気のもれないタイヤを開発するのではなく、空気がもれるならその空気を入れ続ける自転車を開発した、ということです。
馬が引くのではなく、車輪自体が動く、というのは、逆転の発想とは言えないかもしれないが、授業の中で、例としてサッと出せた、ということが、何より大切なのです。
(2010.1.25)