淀川の工事前と工事後

 社会は「淀川をつくりかえた人々」の学習に入ります。
 最初に、上記の資料を扱います。(『わたしたちの大阪3・4年下』日文)

1)川が6つある。        2)細い川ばかり。  3)曲がりくねっている。
4)淀川ではなく、もとの淀川と書いている。      5)もとの淀川は、とても細い。
6)川が曲がりくねっているから、大雨のときは、洪水になったにちがいない。
7)1896年の地図だ。       8)線路も曲がりくねっている。

 パッと思いついた気付きです。
 川の細さと、曲がりくねっていること、1896年の地図であることは、最低限気づかせたいところです。
 そこから、洪水までを推測できれば、たいしたものです。
 次に、現在の淀川の地図を見せます。(どちらも上記の副読本にあり。)

1)1910年の地図だ。           2)新しい淀川は、ほぼまっすぐで川幅が広い。
3)新毛馬の水門がある。         4)中津川がなくなっている。
5)工事は、1896~1910年の間に行われたんだろう。
6)工事のおかげで、洪水がへったにちがいない。
7)新しく川になったところに住んでいた人はどうしたんだろう。
8)大変な工事だったのにちがいない。

 工事前とちがいだけでなく、時間の経過や、工事の結果、工事の過程での苦労なども考えられたら、たいしたものです。
 現在の大阪の発展は、淀川のつけかえにあると考えらたらすごいですね。

(2014.1.22)