自閉症の僕が跳びはねる理由

 東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由~会話のできない中学生がつづる内なる心~』(エスコアール)より。

 僕は、今でも、人と会話ができません。声を出して本を読んだり、歌ったりはできるのですが、人と話をしようとすると言葉が消えてしまうのです。必死の思いで、1~2単語は口に出せることもありますが、その言葉さえも、自分の思いとは逆の意味の場合も多いのです。
 また、人に言われたことに対応できないし、精神的に不安定になるとすぐにその場所から走って逃げ出してしまうので、簡単な買い物さえも、一人ではできません。

  まずは、その人のできないことを知る必要があります。できないことを知らないからこそ、できないことをしないことと周りが誤解し、まちがった対応をしてしまうのです。

 人は見かけだけでは分かりません。中身を知れば、その人ともっと仲良くなれると思います。

 これを東田直樹さんを扱った授業の最後に持ってこようと思います。

 僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。いつもみんなにしかられ、その上弁解もできないなんて、僕は世の中の全ての人に見捨てられたような気持ちでした。

 これを授業で見せる2つ目の文章にします。

 側にいてくれる人は、どうか僕たちのことで悩まないで下さい。自分の存在そのものを否定されているようで、生きる気力が無くなってしまうからです。
 僕たちが一番辛いのは、自分のせいで悲しんでいる人がいることです。
 自分が辛いのは我慢できます。しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには、僕たちは耐えられないのです。

 自閉症児に付き添う先生が、悩んでる姿をその子の前では見せてはいけないのです。その姿こそが、その子を追い詰めていたりするのです。
授業で最初に提示する東田さんの文章は、『跳びはねる思考』から選びました。

 僕は、植物に嫉妬することがあります。

「嫉妬するというのは、うらやましいということです。なぜ、この人は、植物をうらやましいと思うのでしょうか。」
 そして、前に引用した次の文を示します。

 僕が植物をうらやましいと感じるのは、考えなくてよいからではありません。植物は、どのような環境の中にあっても美しく咲こうとし、種を残そうとするからです。
 それは遺伝子に組み込まれた形態なのかもしれませんが、僕はその姿に圧倒されるのです。

 東田さんの文章に圧倒される自分がいます。

(2015.3.29)