今日も、教室のそうじをした。その時の発見、
掃除すればするほど、掃除すべきところが見えてくる。
きれいにするために、掃除をする。すると、掃除した部分はきれいになる。
すると、別のきたない部分が目にとびこんできて、そこも掃除しなければいけないな、と思うのである。
「掃除」を「教師修行」に置き換えても、同じではないだろうか。
教師修行すればするほど、教師修行すべきところが見えてくる。
あれほど、がんばって教師修行してる人が、まだそれ以上がんばるのが、不思議でしかたなかった。
でも違うのだ。教師修行して、自分の教師としての力量があがると、多分、自分の力量の低いところが目についてしまうのだろう。
どんぐりの背くらべなら、お互い同じぐらいの背で、あまり気にならない。
しかし、背の高い人がいれば「おれは背が低いんだな」と気付くわけである。
(1999.3.23)