弘兼憲史『島耕作に聞く タフな「男」になる80カ条』講談社2002.9.20に、次のような記述があります。
男にとって家庭は仕事の疲れを癒す場所だと書いたが、けっして仕事の疲れを持ち込む場所ではない。体のなかに澱んだものを捨てる場所ではないのだ。(中略:荒井)
「疲れた」を連発する男は、そのひとことが妻や子供たちにとって垣根となることに気づいていない。「オレは疲れているんだ」と言うことで、さっきも説明した「食わせる責任」を匂わせてしまう。「おまえたちのために一日働いてきたんだ」という押しつけがましさが見えてしまう。
家庭を持たない私が、なぜこの部分を引用したか疑問に感じるかもしれません。 こういうことっていうのは、人から言われると何となく反発してしまいそうに思えないでしょうか。
自分で読んで、「ふむ、なるほどな」と考えるからいいのです。
人から言われたことを素直に聞けなくても、自分で読んで知ったことなら素直に受け止めることができそうです。(これが言いたかったのです。)
(2004.2.7)