成功体験講座の準備

 淀川部屋のTOSSデーで、「成功体験で子どもは変わる~できないことをできるようにするのが教師の仕事です~」という講座を担当する予定です。
 実は、ほとんど準備ができていません。(気合いを入れて取り組みます。)

① 明治図書の書籍検索で「成功体験」を入力して検索する。
 明治図書は、教育書専門で、何より法則化・TOSS関連の本が多いです。
 さらに、本によっては、まえがきや本文の一部が載っていたりします。
 さて、実際に「成功体験」で書籍検索すると、4冊の本が検索されました。
 その中の1冊に、赤石賢司著『成功体験を経験させる「総合的学習」の授業プラン』があります。そのまえがきには、次のような記述があります。

 「成功体験」という言葉を目にしたのは向山洋一氏の著書を読んだときだった。それ以来、「成功体験」という言葉が私の頭の中に妙に引っかかった。
 向山氏は次のように書いている。

■子供が「成功体験」を実感できる授業は「授業」の中で特別の意味をもつ。
「成功体験」を実感することによって「勉強への意欲」を持つばかりではない、「生きていく力」も獲得するのである。
一年間の千時間もの授業の中で、何回そうした授業ができるか―これは教師が避けて通れぬ問題である。
(『学級経営の急所』向山洋一著・明治図書p.四二)■

 ここでの収穫は、向山先生が成功体験について書いた記述が紹介されていることです。幸い、『学級経営の急所』は持っていたので、そのページを開き、続きを読むこともできました。(ここの文章は使えます。)
 向山先生が成功体験について書かれている続きをもう少し紹介します。

 私は「人権教育」の最高のものは、「成功体験」を実感させる授業をすることだ思っている。
 私はいくら口で人権を尊重することを言っても、授業の中で「漢字」や「計算」や「跳び箱」や「作文」や「観察」などの「成功を体験させてない授業」をする教師を信用しない。
 授業は教師こそができるのであり、教師しかできないのである。
「どの子にも成功体験を与える」こと、「どの子もできるようにさせる」ことをぬきに、なぜ「人権一般」を語るのか?
 教師は、教師にしかできない仕事を通して「人権」を語るべきなのである。
 ある特別少年院で、入ってくる子どもの生育歴を調べたところ、顕著な共通性が見られたという。
 それは、「成功体験や成就感を味わったことがない」ということと「大人への不信」である。
 成功体験や成就感を味わっていたら、その子の人生は変わっていただろうと専門家は言う。
「成功体験」や「成就感」を味わわせなかったのは誰の責任か?
 これは、誰の責任なのか?
 誰でも認めるだろう。この責任は教師が負うべきなのだ。
 教師の責任なのだ。
 教師だけが(おそらくは)、成功体験や成就感を味わわせることが可能だからである。

 成功体験を子どもにさせることは、教師の責任なのです。
 当然TOSSランドでも「成功体験」で検索しました。(前にもやりました。)

TOSSランド№2320505 成功体験による子どもの変容 浅川清

 具体的な子どもの変容が分かりやすく書いているので、使えます。

(2004.3.22)