夫婦喧嘩の神

 塩野七生『ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず[上]』(新潮文庫)を買いました。ハードカーバーの本を出版されたものを私は全て買って読んでいます。「読み直したい」と思いながら、重い本を読み直すことは、なかなかできませんでした。それが文庫だと、どこにでも携帯して読むことができます。
 『三国志』や『史記』よりも、この『ローマ人の物語』の方を私は気に入っています。一読をお勧めします。
 さて、多神教のローマには、夫婦喧嘩の守護神もいました。

 夫と妻の間に、どこかの国では犬も食わないといわれる口論がはじまる。双方とも理は自分にあると思っているので、それを主張するのには声量もついついエスカレートする。黙ったら負けると思うから、相手に口を開かせないためにもしゃべりつづけることになる。こうなると相手も怒り心頭に発して、つい手が出る、となりそうなところをそうしないで、二人して女神ブィリプラカを祭る祠に出向くのである。
 そこには女神の像があるだけで、神官も誰もいはしない。神々を祭る神殿から祠に至るまでの神所のすべてに神官を配置していたのでは、ローマの全人口を動員しても足りないからだが、女神の祠にはそれなりの決まりがあった。神々を信ずるローマ人は、監視役などいなくてもそれは守ったのである。ブィリプラカ女神を前にしての決まりとは、女神に向って訴えるのは一時に一人と限る、であった。
 こうなれば、やむをえずとはいえ、一方が訴えている間は他の一方は黙って聞くことになる。黙って聞きさえすれば、相手の言い分にも理がないわけではないことに気づいてくる。これを双方でくり返しているうちに、興奮していた声の調子も少しずつ落ちてきて、ついには仲良く二人して祠を後にする、ことにもなりかねないのであった。

 教師が、喧嘩の理由を言わせる時、一人ずつ言わせて、もう一方には、その間に口を挟まないことを約束させます。
 この方法は、今から2700年前に行われていたことでもあるのです。
 だから教師も口を挟まず、ブィリプラカ女神のように、両方の言い分を一人ずつ交代で聞いていけばいいわけです。
 三月を英語で、マーチと呼ぶのも、ローマ時代の軍神マルスから派生したものです。
 はるか2700年前に誕生したローマが、今の時代に、いろいろな軌跡を残しています。
 だから、ローマの歴史は、面白いのです。

(2002.6.11)