ルールを機能させるために

『40歳から何をどう勉強するか』(講談社2001.8.22)の中で,和田秀樹氏は外発的動機について書いています。(内発的動機の方がいいと前置きしながら)

 ここまで勉強が進めば好きなビデオを見ようとか,自分のごほうびになる服でも買おうとか,いろいろな形で賞を用意する。逆にダメだった日は酒やタバコといった自分の好物を一日我慢するというような単純な形で賞と罰を用意するうちに,勉強が軌道に乗ってくることは珍しくない。(P.198~199)

 自分に賞と罰を与えて,外発的動機にするという方法です。
 でも,その時に守らないといけないことがあります。

 ここで大切なのは,自分に言い訳をしたり,ルールに例外をつくらないことだ。今日は疲れていたからとか,仕事が忙しかったからというような形で,勉強ができなかった日でもお酒やタバコをやってしまうような例外をつくると,ルールがルールとして機能しなくなる。アメリカの最近の教育でもゼロ・トレランス(寛容なき教育)といって,言い訳をきかずにルールを厳格に適用することで,成果が上がっているのである。
 実際,行動療法の考え方では,子どもが悪いことをして罰さないといけないときに「これまでの愛情が足りなかった」と愛情をかけたり,成績が上がったのに,「勉強だけじゃなくて,人と仲良くしなくちゃ」などと成果をきちんとほめないと,よい結果にならないとされている。(p.199)

「言い訳をきかずにルールを厳格に適用する」という面は,教師として,もっておかなければいけないな,と思います。その日の教師の思いによって,ルールの適用方法が変わってしまうと,学級のルールが崩れ,ルールがルールとして機能しなくなり,学級が荒れていくわけです。
 言い訳をきかず,というのは,できそうにもないので,言い訳を聞きながらも,ルールはルールとして厳格に適用していくべきかな,と思います。
 担任をしていると,子どもを叱る場面が何度もあります。
 きつく叱ってしまって,あとから「ちょっときつく叱りすぎたかな」と反省する時もあります。
 問題なのは,同じような場面があった時,どう対処するかです。
 やっぱり,同じようにきつく叱らないといけないのです。
 反省によって,さっきより甘い叱り方になると,教師の適用している叱るというルールがいいかげんなものと,子どもの目に映るようになるでしょう。
 ロボットのようにルールを厳格に適用できるようになるべきなのでしょうね。

(2005.3.21)