ほめ方で方向性が生まれる

 石井裕之『カリスマ~人を動かす12の方法~』(三笠書房2006.9)より。

 一〇〇点を取ってきた子供に、「一〇〇点を取ってクラスで一番とはスゴイな!」と褒めたなら、子供には、「一〇〇点を取らなくてはならない。クラスで一番にならなくてはならない」という方向性しか与えてあげることができません。(中略)
「一生懸命に勉強して、偉いぞ」と評価してあげれば、子供は、「点数は結果だ。大切なのは一生懸命に勉強することだ」と理解し、勉強に喜びを感じるように成長するのです。

 ほめ方をまちがうと、子どもを間違った方向に追い立てることになります。結果だけを求めれば、手段はどうでもいいことになります。テストならば、たとえカンニングをして100点になってもいいわけです。でも、一生懸命がんばったことをほめられた子は、たとえ結果がどうあれ、一生懸命がんばれたかどうかをふり返ります。そういう子は、決して、カンニングによって結果を出そうとしないわけです。
 例えば、日記の中で、「そろばんの試験に合格した」という記述がよくあります。そのことに対して、「合格おめでとう」だけでは終わらないようになったのです。「合格おめでとう。これまでがんばってきたことの成果が出ましたね。」というように、過程をほめるように意識しているのです。

(2010.2.23)

 石井裕之『カリスマ~人を動かす12の方法~』(三笠書房2006.9)より再び。

「人は、認められたとおりに成長するもの」なのです。
 このことは、叱り方においても考慮する必要があります。
 たとえば、あるメンバーが大切な会議に遅刻してきたとします。
 あなたは彼を呼び出し、次のように指導します。
「大事な会議だと言っておいただろう?君はいつも大事なときに限って遅刻してくる。社会人としての自覚がないぞ」
 さて、彼が叱られるべきポイントは、「今日の大事な会議に遅れてきた」ということだけであるはずです。しかし、「いつも大事なときに限って遅刻する」とか「社会人としての自覚がない」と「拡大解釈」して叱ることによって─つまり、そのように認めることによって、彼はそのごとく成長してしまうのです。

 まちがった叱り方(&ほめ方)をすることで、子どもをまちがった方向に成長させてしまう可能性があるわけです。
 石井氏は、次のようにまとめています。

 褒めるときには、できるだけ「ズームアウト」して褒める
 叱るときには、できるだけ「ズームイン」して叱る
 焦点の合わせ方をまちがえないようにしていきたいものです。

(2010.2.25)