私は放送委員会担当なので、「卒業を祝う会」のほとんどは、講堂上の放送室にいました。
そして、合間に持ち込んだ日記を読み、コメントを書いてました。
子どもたちの出番の時は、講堂上のベランダみたいな所から見ていました。
我がクラスの様子を見ていて、気になったことがいくつかありました。
①卒業生が入場する時、司会が拍手するように言っていたのに、数人しか拍手をしていなかった。
②卒業生が退場する時、押し合いをしていた子がいた。
自分が今すべきことを見失っていることが気になります。
教室に戻った後、机の上を全て片付けさせ、話し合いの机にさせました。
まずは、代表委員やアーチを持ってた集会委員などの子どもたちの活躍をほめました。きちんとがんばっている子はいるのです。
その後、先生が気になったことが何かを子どもたちに言わせてみました。
おしゃべりしてたことや、勝手に場所を移動してたこと、押し合いをしてたことなどが出されました。
いろいろあるけれど、上記の2つが気になったことを子どもたちに告げ、そのことについてどう思うか、全員発表するように促しました。
一番に立ったのがAくん。模範少年です。
こういう子が一番に立って言うことで、後の子は言いやすくなります。
「6年生は嫌な気持ちになる。」
「卒業を祝う会の意味がなくなる。」
などの意見が出されました。
全員が発言した後に、私が話しました。
「自分たちのまちがいをしっかり発表することができました。ただ残念だったの は、それに対して、自分はどうだった、という発言がなかったことです。まる で人ごとのようです。」
私は、拍手してなかったこと、押し合いをしてたことに対しての意見を聞きました。でも、その上の反省をも求めていたのです。
「要求されなければできない、というのでは困る。」
この後、数人の子が自ら立って、自分のやったことに対する反省をしました。
でも、今回のことは、事前に指導していなかった私の責任でもあるのです。
(そのことも子どもたちに語りました。)
ボランティアの学習で、人のためにできることを学習しながら、身近な行事の中で、そのことを行動として表せないことが問題なのです。「卒業を祝う会」は、6年生のためにある行事です。6年生のためにする拍手をきちんとできない、ということが、ボランティア学習が学びだけで終わっている証拠なのです。
(2010.3.6)