楽観と悲観のはざまで

 内田樹『街場の教育論』(2008.11ミシマ社)より。

「私には責任がないから寝ている。責任があるものだけでなんとかしろ」ということが言えるのは、実は危機感がないからです。このまま座礁していれば、全員死ぬことになると思っていない。誰かがなんとかしてくれるだろうと思っている。他責的な人間というのは、実は無根拠に楽観的な人間でもあるのです。自分がいなくても何とかなると思っている。でも、「自分がいなくても何とかなる」というのは、危機の評価が低いということと同時に、自分が貢献できることについても、きわめて低い評価をしているということです。

 被害評価の低さ(無根拠な楽観)と、自己卑下(無根拠な悲観)が他人に責任を押しつける元なわけです。
 被害評価の低さに対しては、危機であることを具体的に分かりやすく伝え、その危機が発展して、どんな大惨事になるかもイメージさせなくてはいけません。
 自己卑下する子に対しては、その子のできるほんの小さな一歩を示し、その一歩に向けて行動させることです。
 学級を見ていても、人のせいにする子は、やはり強がってても弱い感じがします。人のせいにすることが攻撃であり、自分の身と心を守るために、最大の防御のための攻撃をするわけです。

(2010.3.20)