『週刊朝日2013.3.22』に、ロンドン・パラリンピックのゴールボール金メダリスト浦田理恵さんの「たとえ光のない世界でも踏み出せば希望はある」が載っています。
ゴールボールとは、次のような競技です。
1チーム3人で対戦するゴールボール。視力の差が影響しないようにアイシェード(目隠し)をする。コートは縦18㍍、横9㍍。攻撃側は鈴の入ったボール(重さ1.25㌔)を転がして相手ゴール(幅9㍍)を狙い、守備側は3人が体を投げ出してゴールを守る。
当初は、海外遠征で相手の強烈な投球を脇腹で受け、肋骨が折れたこともある。
結構、危険な競技のようです。
ところで、浦田さんが20歳のころに失明しました。
目に異常を感じたのは20歳のとき。熊本県の実家を出て福岡教員養成所に通い、小学校教諭2種免許が手に入る卒業まで、3カ月を残すばかりだった。
「眼鏡やコンタクトレンズを使ってたんですけど、一気にガクンと視力が落ちたんです。黒板が見えない。試験の用紙が見えない。まったく見えない訳ではなかったので、普通に見えるふりを頑張ってたんですけど、教育実習に行って、子どもの表情が分からなかった。『子どもの顔一つ見えなかったら、先生なんか無理やん』と痛感して、先生になる夢はあきらめました」
浦田さんのように、病気によって、教師の夢をあきらめないといけない人もいるのです。自分のように、日々、教師の仕事ができることに感謝しないといけないし、夢をあきらめた人の分までがんばらねば、と思いました。
生まれた頃から失明と、人生途中での失明では、ショックの受け方が違うといいます。生まれた頃からであれば、それが当然であるかのように受け止めやすい。でも、人生途中であれば、見えてた頃があっただけ、見えないことへのショックが大きいようです。(見えてた頃があった方が、恵まれてたともいえるのですが。)
遺伝性の難病「網膜色素変性症」。養成所は何とか卒業したが、ここから1年半、一人暮らしのアパートに引きこもる。
「誰にも『目が見えなくなった』って言えなかった。『これからどうしよう』という不安と、『何で自分が……』という悔しさでいっぱいで。自分は周りの人の目にどう映るんだろう。そんなことばかり気にして、自分の外とのかかわりを持ちたくなくなったんです」
でも、失明している人たちは、世の中にたくさんいるのです。目が見えなくても人生を楽しめる方法はあるのです。それを知らないだけです。
日常生活訓練学校に通い始める。明るく前向きに生きる全盲の仲間たちに出会った。「マイ点字歌詞カード」があれば、カラオケにも行けると知った。料理や化粧のやり方を教えてもらった。スーパーでハンバーグを買ったつもりがおはぎだったり、化粧で色を間違え、緑の眉で外出したこともある。それを笑い飛ばせる明るさが戻った。
「一歩踏み出せば、世界が広がる。結局、そのスイッチを入れられるのは自分だけなんですよね。見えないからできない、で終わるんじゃなくて、どうやったらやれるのか教えてもらって、試行錯誤すればいい。そうやって、できることを増やしていきました」
「一歩踏み出せば、世界が広がる」いい言葉です。
教師の仕事だって、うまくいかないことがあります。そのとき、「自分にはできない」で終わるんじゃなくて、「どうやったらやれるのか教えてもらって、試行錯誤すればいい」わけです。同じなんです。
「地下街を歩くときは、自分の足音の反響音を聞いて、左右の壁からの距離を判断します。その真ん中を歩けば点字ブロックがないところでも大丈夫。通勤時間は徒歩20分なんですけど、お店の揚げ物やコーヒーの匂いでも、『ああ、あと60歩で左に曲がるんだな』なんて判断します。目で見ることだけが『見る』ということではないんです。音、匂い、気配……。いろんなもので『見る』ってことを、ゴールボールから学びました」
自分のできることを増やしていく努力は、誰だってできるのです。
できないことをできるようにしていくことも大切だけれど、できないことから少し離れ、できることを増やしていくことも自分を変える一手だと思います。
(2013.3.25)