右の地図は、『わたしたちの大阪3・4年下』(日文)に載ってるものです。
この地図で、気づきを書かせて発表させます。
多分、子どもたちからは出て来そうもない気づきは2つです。
1つが、川の流れる方向です。
昔の大和川は、南から北に流れていました。地図はたいてい北が上になるため、子どもたちも、川の流れを勘違いするでしょう。
もう1つは、今の地形がなぜ増えているかです。これは、川の水が砂を運んでくるためです。砂がたまると、湾は浅くなり、船が入れなくなります。そうすると、そこは、埋め立てていくしかなくなります。
堺市の港の発展をにぶらせた原因は、大和川の付け替えにあるようです。
前回は「淀川の作り替え」ですが、今回は「大和川の付け替え」です。
上記の地図を見ると、まさに「付け替え」です。今まで川がまったくなかったところに、川を作ったのですから、反対運動が激しかったことが予想されます。
(2014.2.9)
大和川の付け替えの学習で、学ぶべきことがいくつあるか書き出してみます。
まずは、市販のテストから、覚えておくべきことや、できるべきことを抽出してみます。
1)むかしの(大和川)は、柏原市の近くで(玉串川)・(久宝寺川)など、いくつかの支流に分かれて北に流れ、大阪城あたりで(淀川)に流れこんでいました。
…「300年ほど前の大和川の川すじと今の川すじ」(上記)の資料を見て、( )に言葉を当てはめる。「むかしの大和川は淀川に流れこんでいた」に限定したい。
2)むかしの大和川の川すじの人びとは、大雨がふると、どんな被害を受けたか。
(こう水によって、田畑や家が流された。)
3)ていぼうが切れ、こう水がおこったわけはなにか。
(大和川の川すじあたりの土地がもともとひくかったから。)
(大和川や、その支流の川すじがまがりくねっていたから。)4)
5)大和川のつけかえ工事で、新しい大和川が通ることになる村々の人びとが反対したわけはなにか。
(今まで守ってきた田畑がつぶされるから。)
(これまで利用してきた用水路がなくなり、狭山池の水が引けなくなるから。)
(新しい川のていぼうが切れたら、こう水がおこるかもしれないから。)
6)(「つけかけ前の大和川の水害」の年表を見て答えていく。)6~15は読み取り。
何を表している年表ですか。(つけかえ前の大和川の水害)
7)1539年の水害でいくつの村が流されたか。(70)
8)1万6000人もの人がなくなったのは何年か。(1563年)
9)5月、柏原市のていぼうが切れて、付近の約2万4000石分の田がつぶれたのは何年か。(1620年)
10)大和川のていぼうが35か所で切れたのは何年か。(1674年)
11)正しいものに○、そうでないものに×をつける。
・1674年の大雨・大量のため食料不足になった。(×)
12)・1674年、75年、76年と3年間につづけて大和川のていぼうが切れた。(○)
13)・1620年は、大和川の水害はまったくなかった。(×)
14)・1686年、久宝寺川だけのていぼうが切れた。(×)
15)・1563年の5月15日から22日まで大雨で、河内国の半分が水につかった。(○)
16)「つけかえに反対した村々」の図を見て答えていく。
(あ)(い)(う)にあてはまる村を選んで答えよ。(あ…柏原、い…長原、う…我孫子)
17)大和川のつけかえ工事の中心となった今米村の庄屋はだれか。(甚兵衛)
18)甚兵衛は、どこへつけかえ工事をねがい出たか。(幕府)
19)工事をねがい出てから、幕府が工事をゆるすまで、何年かかったか。(50年)
20)つけかえ工事について正しいものに○、まちがっているものに×をつけよ。
・新しい川は、わずか8か月ほどで完成した。(○)
21)・工事をねがい出ると、すぐにゆるされた。(×)
22)・つけかえに反対した人びとも、しだいに工事にさんせいした。(×)
23)・つけかえによって田がせまくなり、用水が足りなくなった村があった。(○)
24)・工事が完成しても、こう水はおこり、何度も工事はやりなおされた。(×)
25)「大和川のつけかえ工事の絵」を見て答えよ。
工事のようすで、気づいたことを書け。
(便利な機械や道具のない中で、多くの人の力だけで工事がお こなわれた。)
26)大和川のつけかえ工事は、舟橋村より海まで、長さ約(14km)、川はば(180m)にわたって新しい川をほり、(ていぼう)をつくっていく工事でした。
27)この工事ではたらいた人の数は、1日におよそ(1万)人、のべ(245万)人といわれている。…26と27は( )に選択肢を入れていく。
28)大和川がつけかえられた後、反対した村の人びとのくらしはどうなったか。
・狭山池の水が使えなくなって、用水が足りなくなった村があった。
29)・田畑がせまくなって、作物のとれ高がへった村があった。
30)・村のまん中に新川が通ったため、北と南に分かれた村があった。
市販のテスト2枚分で、約30の問題がありました。中には、覚えなくてもいいこともありました。例えば、反対していた村の名前を覚える必要はありません。そんな問題の答えは、板書して教えようと考えてます。
教科書を見て、そのほかに教えたいことを書き足してみます。
31)川上から流れてきた大量の土や砂がたまると、川底が高くなり、ちょっとした 雨でも、こう水がおこりやすくなった。
32)庄屋とは、江戸時代に村をおさめていた人(今の村長)。
33)つけかえ工事完成後、幕府から「中」という名字をもらい、中甚兵衛となった。
34)幕府とは、武士が世の中をおさめていた時代の国の役所。今なら政府。
テスト・教科書で、抽出した教えるべきことは、以上です。
この後は、他の人の実践を見て、追加があれば取り入れていきます。
(2014.2.11)