日本人の無常

『RT2013.4.13』(朝日新聞社)に、村上春樹氏のカタルーニャ国際賞・受賞スピーチ全文が載っていました。東北大震災に触れた話の中で、次のように村上氏は語っています。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 東京に直下型地震がきたら大変なことになることを話し、

 にもかかわらず、東京都内だけで1300万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 説明文でいえば、これが問いの文です。
「日本人は、自然災害の多い所に、平気で住んでいるのか。」

 日本語には無常という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 日本人が持つ「無常」の精神性があるからこそ、日本人は災害の多いこの国で生きられるわけです。また、自然災害の多い所に住んでいたからこそ、このような精神性になっていったともいえます。
 ただ、無常の精神で何もかも受け入れてしまう日本人の精神性のデメリットも村上氏は語っています。その内容については、上記の記事をお読みください。
 私の中にも、「無常」の精神が深く根付いている感じがします。
 何が起こっても、どこかあきらめて受け入れてしまうところがあります。
 でも、それだけでは、子どもを高く伸ばしていけないのでしょう。
 受け入れるだけでなく、否定し、新たなものを創り出す気概も、必要なのです。 ときには、あがいてあがきぬくべきなのです。

(2013.4.13)