機械翻訳と一般常識

 松尾豊『人工知能は人間を超えるか~ディープラーニングの先にあるもの~』(角川書店)を読んでいます。
 人工知能(AI)の一つに「機械翻訳」があります。例えば、
「He saw a woman in the garden with a telescope.」という英文を人工知能は、正しく機械翻訳するのが、難しいのです。

 たいていの人は、これを「彼は望遠鏡で、庭にいる女性を見た」と訳す。読者の方もおそらくそう読んだのではないかと思う。
 ところが、実は、この解釈は文法的には一意に定まらないのである。庭にいるのは彼なのか、それとも女性なのか。望遠鏡を持っているのは彼なのか、女性なのか。実際、グーグル翻訳では、「彼は望遠鏡で庭で女性を見た」と訳される。庭にいたのは女性ではなく彼だと解釈している。ところが、人間にとっては、これはちょっと不自然である。何となく「彼は望遠鏡の景色を見ていたところ、たまたま庭にいる女性を見つけて心惹かれている」というシチュエーションが思い浮かぶ。だから、「女性は庭に」いなくてはいけないし、「彼は望遠鏡で」覗き見していないといけないのである。
 なぜ人間にわかるのかといえば、それまでの経験から「何となくそのほうがありそうだ」と判断しているだけで、説明するのは難しい。これをコンピュータに教えようとすると、「望遠鏡を覗いているのは男性のほうが多い」、あるいは「庭にいるのは女性のほうが多い」というような知識を入れるしかない。
 この場合だけに対処すればいいのであれば簡単だが、同じことがあらゆる場面で発生する。(中略:荒井)そうしたあらゆる事態を想定して、必要となる知識を入れる作業がいかに膨大で、いかにばかげたことか、容易に想像できるだろう。
 単純な1つの文を訳すだけでも、一般常識がなければうまく訳せない。ここに機械翻訳の難しさがある。

 人が持つ一般常識とは、かくも膨大な量なわけです。
 英文を訳するとき、単語と文法さえ分かれば訳せるわけではないのです。
 人が持つ一般常識は、生まれてきたからこれまでの生活の中で身に付けてきているわけです。
 わたしたち教師が気をつけるべきことは、目の前にいる子どもたちはわたしたちと比べて一般常識に乏しいことです。さらに、その一般常識は、子どもたちによって大きく差があるのです。
 特に、学校崩壊が起こっているような地域では、家庭でも学校でも、人として正しいといえそうな一般常識を目にしてないゆえに、身につけられないわけです。
 ならば、普段の学習と合わせて、人としての正しいといえそうな一般常識を学校で教えていくべきなのです。家庭の教育力に期待できるほど、甘い現状ではないことを自覚すべきなのでしょう。

(2015.12.30)