内田樹『寝ながら学べる構造主義』(2004.4文藝春秋)を読み終えました。
結構、難しくて、睡眠薬代わりになってくれました。寝ては学べませんが。
子どもの成長にとって言語を使用するということは不可欠のことですが、それは同時に、この世界は「すでに」分節されており、自分は言語を用いる限り、それに従う他ない、という「世界に遅れて到着した」ことの自覚を刻み込まれることをも意味しています。
例えば、羊を日本では「ヒツジ」と呼びます。でも国が変われば、呼び方も変わります。加えて、羊に対するイメージも、生まれる国によって変わるわけです。その国、環境における暗黙のルールに、遅れて到着した(生まれてきた)者は、従わざるえないということです。
人々が独裁者を恐れるのは、彼が「権力を持っているから」ではありません。そうではなく、「権力をどのような基準で行使するのか予測できないから」なのです。
明文化されたルールに則って行動する上司を部下は恐れません。理にかなってない行動をする人を人は恐れるのです。
上記2点の引用だけでは、「構造主義」とは何かは分からないでしょう。
何しろ、私自身、本を読み終えても、構造主義が何か分かってないからです。
でも、訳の分からない本を読むのも、ある意味刺激的で楽しかったです。
(2016.5.29)