両手を挙げて渡るのは?

 米原万里『必笑小咄のテクニック』(2005.12集英社)の中の小咄より。

 モスクワのクトゥーゾフ大通りで信号待ちをしていると、元気な男の子の声が聞こえてきた。
「ねえ、ママ、信号が赤のときでも道路渡っていいかなあ」
 三、四歳だろうか。その子が見上げた若い母親は、
「絶対ダメ。危ないでしょう。死ぬかもしれないよ」(A)
 とは答えなかった。いや信じられないことを口走ったのだ。
「もちろん、いいに決まってるじゃないの」
 まさか、とわが耳を疑っていると、さらに付け加えた。
「ただ、その場合は両手を挙げて渡るのよ」
「なんで?ドライバーに見えやすくするため?」
「ううん、死体安置所でシャツを脱がしやすくするためよ」(B)

「AさせたいならBといえ」の典型みたいな小咄です。
 教師として、実際に子どもたちに言えるかといえば、最近のご時世では無理かもしれない。
 ちょっとしたことでネットの炎上騒ぎが起こる世の中では、当たり障りのない言葉しか使えなくなります。まさに笑えない話です。

(2016.7.5)