『学力研の広場』連載中の「授業力を高める入力と出力」の第3回は「私の入力と出力の軌跡」として、私のことを中心に書きました。
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入力と出力のくり返しこそが、教師の授業力を高める。
そのことを私の経験を元に、考察する。
教師に憧れた理由
高校三年生の頃、私は就職組であった。
すでに、服飾系の会社に就職面接を受ける予定になっていた。
別に、服飾系に興味があったわけではない。仕事があり給料がもらえれば、どこでもよかったのである。
中学の卒業文章には、「数学を教える先生になりたい」というようなことを書いていた。小中と算数・数学が得意で、図形の証明問題を黒板の前で、みんなに説明することに優越感を抱いていたからだ。
誰かの前で、自分の頭の中を披露する、いわゆる入力したものを出力することの楽しさをこの頃から体感していたのである。それゆえ、教師に憧れたのだ。
人生を変えた友人から入力
ただ、私の家は母子家庭だが、母は体が弱いので働いていなかった。生活保護をもらって生きていたのである。
さすがに、大学は無理である。
高校二年ぐらいからは、自分の好きな科目以外は、ほとんど勉強していなかった。
就職面接の近づいた時、友人の一人が、
「大阪に夜間の教育大があるよ。」
と教えてくれた。
スマホどころか、パソコンや携帯電話もない時代である。夜間の教育大学があるという情報は、自分が求めて探さない限り、私の耳に入ってくることはない。
ただ、友人は私が教師になりたかった、ということを知っていたので、その情報を教えてくれたのである。
あの時、あの友人の一言がなければ、私が教師をやり、今ここで、この原稿を書いていることもなかっただろう。
短所をカットし長所に特化した勉強法
夜間の教員養成大学が大阪にあることを知った(入力)だけで、簡単に入学できるわけではない。昼間は働かなくてはいけない。
しかも、その頃、私は石川県の金沢市にいたのである。
私が夜間の教育大学に行くために達成しないといけないことを列挙してみよう。
① 大学に受かるための勉強をする。
② 昼に働ける仕事場を大阪に見つける。
③ 大阪の住む所を探す。
④ 母の生活費を仕送りする。
⑤ 大学に通う費用を捻出する。
課題が明確になれば、それらを解決する方法を探せばいいだけである。
勉強は、夜間の教育大に合格するためのものだけを授業中も休み時間も家でも行った。英語は苦手だったので勉強はあきらめ、それ以外の科目で点数を取ることに決めた。
(自己採点では、数学が200点満点で180点、英語が200点満点で20点ぐらいだった。)
短所を改善するのは時間がかかるが、長所を伸ばすのは短期間でできるのだ。
目標をかなえるための選択
大学は合格した。
次の難題が、仕事と衣食住である。
「求めるものは救われる」という言葉がある。その通りのことが起きた。
一本の就職案内の電話があったのである。自衛隊からである。
自衛隊は、住み込みで働き、衣服類(迷彩服・下着など)が支給され、三食が出る。
しかも、夜間大学に通う学生には、勤務を一時間早く終わらせてもらえ、しかも、早飯まで食べさせていただけるのだ。
これなら、大学にかかる費用も母への仕送りも、給料で全てまかなえる。
小・中・高と体育が苦手な私だったが、教師になるためには、自衛隊に入るしかないと思い、入隊を決めたのである。
自衛隊での訓練や生活は大変ではあったが、自分の目標や理想のために苦労をいとわないのが、若者の情熱なのである。
自信のなさが入力の原動力
さて、夜間の教育大学とは、大阪教育大学のことである。
数学に教師になりたかった私だが、大教大の夜間学部では小学校の教員免許しかとれない。
「同じ教える仕事であるから、小学校教師でもいいな」
そう、決めたのである。
ただ、小学校の教師になれば、国語も社会も理科も音楽も体育も教えないといけない。子どもたちを仕切って、学級を築きあげないといけない。
とても、そんなことができる自信は、全くなかった。
またもや、課題が生まれたわけである。
そこで、大学一年目から図書室に何度も通った。そして、教育書や教育雑誌を読み漁った。
特によく読んだのが、授業記録である。なにしろ、「どう授業したらいいのか」が、全く分からなかったからだ。
仕事(教育活動)に対する自信のなさが、私の学び(入力)の原動力となっている。
教育書を読まない、講座に参加しない、そんな先生たちは、きっと、仕事に自信をもっているのだろう。(これは皮肉。)
限られた時間を大切にする意識
周りから見ると、変な大学生だったのだろう。
大学生なのに、教師が参加する講座にたびたび参加していた。
教育以外に興味はなかったので、新潟の講座(合宿)に参加したときも、駅から会場への道を往復しただけで、まったく観光はしていなかった。
(今は、ついでに観光もしたりしているが。)
教師が参加するサークルにもいくつか参加した。実践もないのに、レポートを書いて持っていった。
この時、「教師は時間にルーズな人が多い」ことに気付いた。
サークルの例会開始時間になっても始まらなかったことが多かったのである。
昼に働き、夜に大学に通っている身としては、時間ほど貴重なものはない。
それゆえ、今の私も、時間を守る。
授業開始が遅れることも、授業終了が延びることもない。家庭訪問でも遅れたことはない。待ち合わせは、自分が待っても待たせることは滅多にない。
それゆえ、現在の職場でも、五時に退勤することが多い。
限られた時間で仕事を終えることが大切だと、思っている。
(多くの先生は納得できないことだろう。)
出力する機会を断ることは入力の損失
「教えるのが好きだから教師になった」という自覚が、私にはある。
それゆえ、講座での講師を頼まれれば、断ることはない。
講座も、教える一つの機会だからである。
原稿依頼が来れば、必ず引き受ける。
その原稿を課題であり、課題があれば解決方法があり、その解決方法を探すことが自分の授業力を向上させる糧となることを知っているからである。
依頼がなくても、むしろ、私の方から講座で話す機会を求め、原稿を書く場を探すことも多い。
出力の場あるからことで、いろんな情報が自分に入力してくるからである。
(もちろん、出力するための入力には時間がかかり、苦しむこともあるが。)
入力したことを出力する場が講座
ところで、私は正式な教員ではない。臨時講師である。
教員採用試験を受けたことはあるが、一度も通ったことはないのである。
今では試験は受けていない。
なぜなら、臨時講師であっても、正式の教員とやることは変わらないからだ。
担任も普通にやり、六年生も何回か担任し卒業もさせている。理科専科、音楽専科もあれば、新任担当となり四人の新任を担当したこともある。
現在は、五・六年の理科専科をしている。
でも、講座では、国語や社会や算数や道徳の授業について話したりしている。
「教えることができればいい」
その考えに変わりはないので、自分が入力したことを出力するようにしている。
(以下:会員向けの投稿お願いなので後略します。)
(2017.10.15)