毎日、必ず、一定量、書く

 お正月。卒業式。入学式。運動会。
 ハレの日、特別な日のことを書こうと思えば、結構な量を書けるものだ。
 それゆえ、学校での作文は、行事の後に書かれることが多い。
 けれど、それだけでは、書く(出力する)力はつかない。
 毎日、書く。必ず、書く。一定量、書く。
 この3つを10年続けることができれば、あなた自信の書く力がつき、教育に対して自分の考えをいつでも語れるようになるだろう。
 毎日とは、日常である。
 特別ではない日常から書くべきことを引き出すのである。どうしても書けないのならば、読書や散歩(行動)などの入力をすればいい。
 必ずとは、どんな日も書くということである。
 林間や修学旅行などの宿泊行事の時でも、どこかで時間を見つけて、書く。
 一定量は、自分で決める。
 私は、36字×19行のスタイルで、毎日、必ず、1ページ以上を書く、と決めている。(改行もするので、684文字書くわけではない。)
 1998年1月14日から、「日刊考現学」と称して、今日(2017年12月17日)までに9598ページ、私は書き続けてきた。

(2017.12.17)

 昨日の考現学と以下の続きを「学力研の広場」の連載に載せました。

覚悟だけでは続かない
「毎日、必ず書く」と決意しても、続けて書くことは容易ではない。
 なぜなら、書く覚悟をした熱量を人は維持できないからである。当たり前である。
 私が20年間書き続けることができたのは、大阪教育サークルはやしの例会があったからである。
 私は、書いた「日刊考現学」をサークルの例会に必ず持っていく。サークルメンバーに自分の書いたものをさらすわけである。要するに、読んでもらうことを前提して書くわけである。何しろ、私はサークルの代表である。続けて書くと宣言したものを止めてしまうのは、恥ずかしくてできない。
 書き続けるためには、そうせざるを得ない状況を設定するのである。

余白を埋めるときに創造が生まれる
一定量を書くことは、一定量を文字で埋めていく作業でもある。
 どうしても、あと数行、何を書けばいいか思いつかないこともある。
 今、書きたいことを書いてしまった所で終わる。それは、もったいない。
 その後、残った数行で何を書こうか考えた時に、あなただけが思いつく発想がひらめき、そこの創造が生まれるのである。

(2017.12.18)