向山洋一・大場龍男著『向山洋一は障害児教育にどう取り組んだか』(明治図書)の中で、大場氏は向山先生の次の文章を紹介されました。
私は担任をすると初めに、だれでも可能性を持っていることを話す。教室は失敗する場所であることも話す。学問は失敗の連続のうえに真理をつかんできたなどということを例示する。また、「きみはほんとうは小学生なみの劣等生なんだよ」と言われていたノーベル文学賞作家のハウプトマンの話や、箸にも棒にもかからない最低の生徒であり、両親からさえ、初めは知恵おくれの子どもではないかと心配されたアインシュタインの話などをする。
アインシュタインのことは少し知っているけど、ハウプトマンという人は名前さえ知りませんでした。
エンカルタ百科事典では、次のように書かれています。
ハウプトマン Gerhart Hauptmann 1862~1946 ドイツの劇作家・小説家・詩人。ドイツ文学における自然主義運動の主唱者として活躍した。
1862年11月15日、シュレジエン地方のオーバーザルツブルン(現ポーランド領シュチャウノ・ズドルイ)に生まれた。短期間、ブレスラウ(現ブロツワフ)で彫刻をまなんだあと、イェーナ大学で哲学・歴史などをまなんだ。その後、執筆活動にはいったハウプトマンは、ノルウェーの劇作家イプセンのリアリズム作品に大きな影響をうけ、さまざまな創作上の試みをへたすえに、やはり演劇を自分のおもな表現手段としてえらんだ。
最初の戯曲作品「日の出前」(1889)で、労働者階級の問題をリアリスティックにえがくというイプセンの社会派演劇を踏襲した。この作品では、自分たちの土地が石炭を埋蔵していることがわかって、きゅうに金持ちになった農民の家族におこるさまざまな軋轢(あつれき)がえがかれている。環境や遺伝的な要素が、いかに個人の人生を支配してゆくかを観察したこの戯曲は、ドイツにおける自然主義演劇の先駆的作品とされている。(中略:荒井)
ハウプトマンは、ドイツ帝国のプロイセン政府官憲を風刺した喜劇「ビーバーの外套(がいとう)」(1893)、小説「ソアーナの異教徒」(1918)、また叙事詩なども発表している。1912年にはノーベル文学賞を受賞した。46年6月6日、ハウプトマンはアグネーテンドルフで、この世をさった。
長く引用しましたが、ここにはノーベル文学賞を受賞したことは書かれていても、小学生なみに劣等生だ、と言われたことなど載っていません。
向山先生は、きっと、ハウプトマンの伝記や作品さえも読まれてるにちがいありません。子ども達に可能性を語るためには、教師はもっと学ばなければならない、ということでしょうね。
(2001.1.2)