自分の器量の分だけ

 斎藤一人『眼力』(サンマーク出版2010.6)に、次の話がありました。

 たとえば、日光の華(け)厳(ごん)の滝に行くと、パァーッと大量の水が流れていますよね。
 けれど、滝の下で、コップ一個を持って水を汲(く)もうとしても、最高でコップ一杯分の水しか入りません。
 わかりますか?最高でコップ一杯です。
 華厳の滝は、落ちてくる水の水圧がすごい。だから、コップすり切り一杯は意外と難しいのです。

 この後、一人さんは「自分の器量分のお金しか持てない」という話をされます。
 これは、教師としての学びにも当てはまる気がします。
 どれだけ素晴らしい人の話を聴いたとしても、受け手である自分の器(器量)が小さければ、それだけのものしか受け取れません。自分の器分、受け取れたらいい方です。その人の話が素晴らしければ素晴らしいほど、それを受け止めきることはできません。自分の器の半分も受け取れないわけです。
 では、どうすればいいか。
 自分の器(器量)を大きくするしかありません。
 普段から教育に関わる本、関わらなくても自分を高める本などを読み、自分の実践を書いて蓄えるなどの努力をしていく必要があるのです。

(2013.7.28)