関心の輪・影響の輪

 他の教師の指導ぶりが見えるというのも、少なからず私のストレスとなる。
 子どもの非を責め、叱ってばかりいる教師。
 説教の長い教師。
 子どもに無理難題押しつける教師。
 私の目の前で、子どもが少しずつダメにされていくのを見ると、歯がゆくなってしまう。
 だからといって、私が口を挟んで、好転するとは思えない。
 スティーブン・R・ゴヴィー『ファミリー 七つの習慣 家族実践編 上』(キングベアー出版)の中に、「影響の輪と関心の輪」の話が載っていた。

 関心の輪とは、その人が関心を持っているすべての事柄を指す。
 影響の輪とは、その人が直接影響を及ぼすことができたり、あるいはコントロールできる事柄を指す。
 図を想像していただきたい。
 関心の輪が大きく、その中に影響の輪がある。
 人は関心を持っているすべての事柄に影響を及ぼすことはできない。
 反応的な人は、他人の欠点や周りの環境など自分のコントロールできない事柄(関心の輪)に集中し、影響の輪を小さくしていってしまう。
 悪口や愚痴は、結局、言いっぱなしで終わり、まわりに何も影響を与えず、何も変わらず、時だけが過ぎてしまう。
(悪い影響は与えそうだ。)
 主体的な人は、自分のコントロールできる事柄(影響の輪)に努力と時間を集中させ、影響の輪を拡大していく。

 私はできるなら、主体的に生きたい。
 周りの教師の悪口や批判を言ったところで、子どもはよくなっていかない。
 だから、私は算数という授業を通して、子ども達をほめ、そして伸ばしていきたい。
 子ども達をほめ、伸ばすための努力と時間に集中し、影響の輪を拡大していきたい。
 自分の今やっていることが、関心の輪へ向けられているのか、影響の輪へ向けられてるのか、それを判断することは簡単だ。
 行動が伴う時、その時こそが、影響の輪に向かっている時なのである。

(1999.9.16)