二宮忠八の一生

 笠井さんという方から、向山小森型理科の原稿依頼が来ました。(9/4)
「特集1~読書の秋に向山小森型理科から発信~日本人はやっぱりすごい理科偉人物語」という題のタイトルです。
 締め切りは9月17日、ちょうどサークル例会の日です。
 こういう締め切り間際の原稿依頼というのは、割とあるものです。
 ともかく引き受けました。
 10日の今日まで何もしないで、いざ書こうと思っても、誰を取り上げていいかが分かりません。仮説関係の昔の本を読んでも、パッとした人が出てきません。
 仕方がないので、TOSSランドにもある二宮忠八を取り上げることにしました。(この書き方は、二宮忠八に失礼かもしれませんね。)
 とりあえずの授業プランを書いてみます。

① ジャンボジェット機の画像を見せる。
②「飛行機について、知ってることを書きなさい。」(拡散的発問)
③ 発表。ジャンボジェット機、約300トン、定員400人。
④ ライト・フライヤー号の画像を見せる。
⑤「これは、何の写真でしょう。」
⑥ 世界初の有人飛行に成功した飛行機。1903年。
⑦ ライト兄弟の画像も見せる。アメリカ人。
⑧「飛行機がまだ発明されていない時に、飛行機を発明しようとした日本人はいたでしょうか。」
⑨ 二宮忠八の画像提示。1866年6月9日生まれ。
⑩ 忠八の子どもの頃の話。セミとりで木の根元を観察。
⑪ いろいろなたこを作る。ビラまきたこ。
⑫ カラスを見て、カラス型模型飛行機を作る。1891.4.29。
⑬ 1892年、人間の搭乗できる“玉虫型飛行器”の作製に着手する。
⑭ 1893.10.1 約2mの玉虫型模型完成。松山へ転勤。解体して持っていく。
⑮ 1894年、玉虫型の設計図に上申書をそえて提出→却下。
⑯ 1898年、資金作りのため大日本製薬株式会社に入社。薬品製造。
⑰ 1899年、東京支社長。
⑱ 1902年、精米所を買い入れ、作業開始。
⑲ 1903年、ライト兄弟の有人飛行実験成功。忠八、飛行器壊す。
⑳ 1936年4月8日、死去。
(21) 1991年玉虫飛行器、設計図を元に作成、飛行成功。

 ⑮と⑲の後、忠八がどうしたかを問うことができそうです。

(2005.9.10)