夢飛行での事故記事

 1991年玉虫飛行器の飛行成功は、10月20日です。でも、離陸後、逆風によって傾き、観客席に突っ込み、重軽傷者3人を出したのです。
 詳しく調べるために、中央図書館に行き、朝日・毎日・読売・産経のマイクロフィルムを見ました。
 朝日新聞1991年10月21日朝刊に次のような記述があります。

 「玉虫飛行器」は一八九二年、八幡浜市出身の二宮忠八が昆虫の玉虫をヒントに設計に着手。一九〇二年に米国のライト兄弟に先を越されて、完成を断念した。以来、九十年を経て、八幡浜青年会議所が町おこしに役立てようと、日大航空宇宙工学科の野口常夫講師らに復元を依頼。制作費千七百八十万円は市民の寄付でまかなわれ、組み立ても地元高校生や市民が受け持った。
 事故が起こったのは午前八時二分。野口講師の操縦で、「夢飛行」が成功して約十分後。「市民の手で郷土出身の忠八翁の夢をかなえよう」との趣旨から、この日のために訓練を受けてきた市民パイロットが搭乗し二度目の滑走を始めた直後だった。(太字:荒井)

 制作費が1780万円。一回目の飛行が成功。それだけ分かればいいのです。

(2005.9.11)