死を身近に感じるかいなか

 デュラン・れい子『地震がくるといいながら高層ビルを建てる日本』(講談社2008.5)を読んでます。デュランさんの書く日本論は、いつも読み応えがあります。日本にいるだけでは知らない日本独自のことがよく分かります。

 東京を襲う大地震の話は、久しぶりに会った友人の間でもよく出る。そのときの意見はだいたい、この2つだ。
「まあ、いつか起きるかもしれないけど、あっさり死ねるなら、もうそれでいい」
「苦しんで死ぬのは嫌だけど、一瞬で死ねるのならしかたない」
 自分で防げないこと、天災が起こったそのときはしかたないという覚悟というかあきらめが、そういうDNAが、たぶん私の体の中にもある。日本人は兼好法師の昔から、自然に対する無常観を持って生きているのかもしれない。

 自然と共存して生きようとするのが日本人であり、自然を征服しながら生きるのが欧米の人々なのです。
 ただ、上記の2つの意見は、「死」というものを身近に感じていないゆえからの意見だと思います。
 日本人は、特別の人以外、武器を所持しません。それゆえ、欧米に比べると、殺傷事件がはるかに少ないのです。それゆえ、死というものを身近に感じることなく生きています。
 死を身近に感じられないからこそ、生の大切さを忘れているのかもしれません。

(2010.9.21)