企業の管理職と教師

 企業の管理職と、教師では、立場が似ているところがある。
 例えば、中谷彰宏氏の『こんな上司と働きたい』(PHP文庫)に、次のような記述がある。

 悪い報告をした部下を、どなるのではなく、逆にほめることです。そうすると、次回にまた何かあったときには、今回より早く報告するようになるでしょう。悪い報告をするのは勇気が要る。トラブルを発生させた責任をその時点で問うのではなく、ごまかさないで報告した勇気を評価してやるのです。

「ちょっとでも、おしゃべりしたなと思う人は立ちなさい。」
 これで立った子に「正直なのは、いいことです。」と、ほめるのと、似ている。
 ほめられるようなことを言いにくる子もほめるが、それ以上に、自分にとって不利なことを言いに来た子には、その勇気と正直さをほめるべきなのだ。
 そうすることによって、隠れて悪さするような子がいなくなるのである。
 さて、企業の管理職と教師の立場が似ている、別の例をあげよう。
 例えば、算数の丸つけである。向山洋一氏は、まちがえた問題には、黙って×をつけることが大切だという。どこが間違ってるか指摘したり、ヒントを与えたりするのは、その子にとって、大きなお世話になるのだ。
 なぜなら、間違えて×をもらうことで、初めて考えるのだから。
 さて、先ほどの本にも、次のような記述がある。

 今せっかく失敗をして、そこからの立ち直り方を5通りも10通りもやってみて、ああ、こういうやり方もある、いや、これはダメだった、こういうやり方もある、これもやってみたけれども、ダメだったというトライ・アンド・エラーが、部下の財産になっていくのです。
 それを横からひょいひょいと出ていって、上司がリカバリーしてしまう。上司は、それだけの経験がありますから、リカバリーは簡単にできてしまうかもしれない。簡単にできてしまったら、そこから学べるものは非常に少ないわけです。

 失敗からたくさん学ばせたければ、手助けしないということである。
 ちがうページの次の一文も、いい。間違えた方が、勉強になるわけだ。

 滑っている瞬間よりも、転んで起きる瞬間のほうが、雪の上での身のこなしは覚える。

(1998.8.11)