記憶は杭打ち

 自分がいかに忘れっぽいか、ということは自覚しているつもりです。
 つい一ヶ月前の出来事でも、思い出せないことが多い。
 中谷彰宏氏の『知的生活の達人 知性で運を開く』(三笠書房)の中に、記憶について、次のような記述があります。

 記憶するというのは、杭を打っていく作業なのです。
 杭を1本打っただけでは、忘却という川の水をせき止めることはできませんが、杭が1本あるのと全然ないのとでは、水の流れ方が違ってきます。杭をできるだけたくさん打っていくことによって、人間の記憶はどんどん定着していくのです。

 要するに私は、杭を打っていないか、もしくは、打っている杭の数が少なすぎるわけです。
 そういえば、初めて持つ学級の子ども達の名前を覚えるとき、私は上の名前(性)だけでは覚えません。「荒井」ではなく、「荒井賢一」とセットで、覚えていくのです。
 これも性だけの杭では記憶が定着しないからなのかもしれませんね。

(1999.8.31)