伴一孝氏の授業も、マルチ発問やセレクト発問が使われています。
町のイラストの中に、既習の漢字が25セット貼り付けられている「漢字の広場」を使い、伴先生は授業されます。漢字を伴先生がゆっくり読んだ後、次のセレクト発問(指示)をされました。
「ここに書いてある言葉を使って、文を作ります。好きな言葉を一つ選んで、指を置きなさい。(確認後)指を置いた言葉を使って、文を作ってごらん。」
口頭作文させた後、ノートに一文のみ書かせ、教師のところに持ってこさせます。教師は○をつけ板書させます。
教師の発問によって、黒板にはたくさんの文が並ぶわけです。
(これはまさに多様な答えを引き出すマルチ発問といえます。)
マルチ発問の意義を伴先生は次のように書かれています。(マルチ発問という言葉は使っていませんが。)
子供は次から次へと立って発表する。この時点で、子供は「目」と「耳」から、山ほどの例示を受信する事になる。これが「学習モデル」である。「何をどうすればよいのか」「教師(教材)が何を要求しているのか」を、こうして子供達全員に理解させるのだ。
さて、黒板に並んだ文である。「どれが良くて、どれが駄目のなのか」を評定しなければならない。
『教育トークライン2006.9』より
マルチ発問によって出された答えが、子どもの「学習モデル」となる、と伴先生は言われています。マルチ発問によって、「学習モデル」を作り、子どもの学習を助ける役割が生まれるわけです。
「どれが良くて、どれが駄目のなのか」を教師が子どもに問うわけではありません。それゆえ、これはセレクト発問とはいえません。
でも、教師が評定するのを見ている子ども達は、次の文は良いのか駄目なのかと考えます。セレクト的な展開になっているわけです。
マルチ的展開をしたら、次はセレクトする。
このくり返しが、授業を学びあるものとするようです。
(マルチを支援、セレクトを指導、と考えてもいいでしょう。マルチ発問で支援し、セレクト発問で指導することで、学習が成立するわけです。)
最近、他の教師がする授業の発問を「これはマルチ発問か、セレクト発問か」と考えるようになりました。「マルチかセレクト」というように自分自身にセレクト発問しているわけです。
授業を見る一つの観点を得た、といってもいいでしょう。
(2006.8.16)