日本語の正しい使い方

 学力研・漢字部会講座での伊東信夫氏の話の中で、一番勉強になったのは、漢字のことではない。日本語の正しい使い方についてである。

 一番線に電車が   ①    。 

 ① に、どんな言葉が入るだろうか。

 一番線を電車が   ②    。

 ② に、どんな言葉が入るだろうか。
 どちらにも同じ言葉が入るようでは、日本語の正しい使い方を理解しているとはいえないのである。
 例えば、①には「到着します」が入り、②には「通過します」が入る。
 では、なぜか。
 このことが分かると、次の俳句の情景もよく分かるようになる。

 米洗う前を蛍が二つ三つ

「蛍は止まっているのですか、飛んでいるのですか。」
 伊東氏の話によると、「場所性の名詞移動性の動詞」となるそうだ。
 一番線(場所性の名詞)を電車が通過します(移動性の動詞)。
「場所+を」その後にくるモノは、動いていかなくてはいけないわけだ。
 米洗う前(場所)を蛍が二つ三つ…(移動性)だから、蛍は飛び回っていないと不自然なわけである。
 ホームページで調べると、そのことが結構、話題になっていた。

岡島昭浩 - 05/1/3(月) 1:52 -----
以前、国語教育関係のMLに入っていた時に、
 米洗ふ前に蛍が二つ三つ
 米洗ふ前へ蛍が二つ三つ
 米洗ふ前を蛍が二つ三つ
という、助詞の使い方で句意が変わる話の出典はなんだろうという話になりました。
その時は、「秋香歌譚」という江戸時代の本にあるらしい、という情報提供がなされましたが、これは明治期の本で、中村秋香のものです。国会図書館には、明治40年刊の『秋香歌かたり』として入っています。
遠江なる柿園嵐牛は、俳句にては其頃知られたる人なりしがある時
  鍋洗ふ前に三つ四つ蛍かな
といふを得て、かゝる情は歌にては言ひ得がたるべしとおもひ石川依平に示しけるに、依平みて余は俳諧の事をしらねば、とかく評を加ふべきならず、但し歌にては鍋洗ふ前をといはざるべからず、をといへば即ち鍋洗ふ前を三つ四つ蛍が飛びかふさま言外にしらるべし。前ににては鍋を洗ふ前の草村などに居るさまにて、とびかふさまと聞えぬなりとありければ、嵐牛深く感じ、これより常に依平が教を受けて俳句も大にすゝめりと春畊氏語られき、
これより古いものとして、落合直文『将来の国文』が見つかりました。明治23年に「国民之友」に載せたもので、山本正秀『近代文体形成資料 発生篇』p652-662で見ることが出来ます。
 米洗ふ前に螢の二ツ三ツ
こはある有名なる俳諧師がものしたる句なり、この句を作り出てたる時、みつから大によろこび、当時の奇人香川景樹に示したりしに、景樹見て、いかにもおもしろし、されとその螢は死したるものと思はる、いかにと問ふ。俳諧師大にいかりてその故を詰る。景樹いふ、若し飛行するものならむには、[前に]を[前を]といはざるべからずと。こをきゝてその人大に悟るところありしよしものに見えたり。[に]といへば或一定の塲所をさし示す助辭にて、唯螢が前に落ちて動かずにある意なり。さるを[を]といへば「前を飛ぶ」「前を過ぐ」など、おのづから螢の飛び行くさまも見えて、全句浮動、あはれ、はじめて名吟ともいはるべきなり。

 この発言に対する別の方の返信も載っている。

Yeemar - 05/1/4(火) 6:35 -----
私はこの話を聞いたことがなかったのですが、東京書籍「新編新しい国語」2〔中学2年国語教科書〕(平成8年2月29日文部省検定済)p.159に「有名な話」として載っていたのを読んで知りました。教科書ではこう紹介されています。
  米洗う前に蛍{ほたる}の二つ三つ
という句を作った人が、「米洗う前を{ヽ}蛍の二つ三つ」がいいと、先生から注意を受けたという有名な話があります。この句は、「に」でも「を」でも、言葉としては自然です。どちらも間違ってはいません。しかし、「に」を使うと、米をといでいる自分の前に蛍がいるというだけの意味ですが、「を」を使うと、「蛍」が自分の周りを飛びまわるという意味が出ます。飛んでくる蛍と、飛び回る蛍、「を」のほうに動きがある、そこで、「を」のほうが句としてよいということになるのだと想います。「に」「を」、たった一字の違いですが、意味のうえではこのような違いが出るのです。

 長い引用になったが、「に」と「を」によって、これだけの違いが出るわけである。
 そのことに、今まで自分が無自覚であったように思う。
 もし子どもが次のような作文を書いてきたとする。
「公園に犬が走っていました。」
 何か変だと思える。「公園を犬が走っていました。」が正しいということも何となく分かる。ただ、場所性の名詞の後に「を」がついたら、その後には移動性の動詞が来る。そのことを理解しているかいないかで、指導の厚みが違ってくるのは、間違いなさそうだ。
 このことを明後日の講座にも取り入れてみようと思う。
 指導の裏には、教師の圧倒的な知識・情報がなくてはいけないわけである。

(2009.8.21)