授業のチャイムが鳴り終わった。
しかし、一人の男の子の様子が、おかしい。
話しかけても、返事をしない。
休み時間に廊下で、もめごとがあったことは、うすうす気が付いていた。
「休み時間に何かあったんですか?」
と問いかけると、うん、と首をたてにふる。
関係のある子に事情を言わせていった。そして、事実かどうか、その子に確認していく。
「その通りですか。」
うなずいたり、首をふったり、YES・NOだけで、会話をする。
それでも、「なぜ、しゃべらないか」がわからない。
そこで、紙に書かせた。
一生しゃべらないと決めたから
と書かれた。
「こういう風に、紙で会話をすることを何というか知っていますか。」
と、みんなに問いかけた。常に全体に働きかけることを忘れないようにしないと、他の子はお客さんになってしまう。
誰も知らないようなので、『筆談』と板書して、教えた。
「何か、勉強してるみたいやな。」という子どものつぶやきがあった。実にその通りである。クラスでおこる問題から学ばなければ損である。
筆談をくり返す内に、原因がわかってきた。
「うるさい。うるさい。」と、3人の子にくり返し言われたから、「もう一生しゃべらんわ。」と宣言してしまったらしい。
どうやら、自分の言ったことを守り通そうとしているわけだ。
実に、頑固だ。(でも、こういうのって、好きだなぁ。)
しかし、そのまま一生しゃべらないのも、困る。
そこで、追求した。
「○○さんが、うるさい、うるさい、と言いましたか?」
全然、そのもめごとに関わってない子の名前をあげた。
その男の子は、当然、首をふった。
「○○くんが、うるさい、うるさい、と言いましたか?」
しつこく聞く。
「荒井先生が、うるさい、うるさい、と言いましたか?」
どれも首をふる。
「じゃあ、なぜ、他の子やみんなにもしゃべらないのですか?」
だが、この追求でも、その子は、しゃべろうとしなかった。
いよいよ奥の手だ。
「しゃべらないなら、授業はできませんね。それなら、お父さんに学校に来ても らって、そのことを話します。どうしたらいいか相談します。」
すると、その子は激しく首をふる。
「しゃべらないんだから、仕方がないじゃないですか。」
結局、この手でも、その子はしゃべろうとしなかった。
少し、目に涙がうかんでいる。
打つ手なし、か。
仕方ないので、授業を始めた。漢字マッキーノをした。
終わって、次のことをしようと思ったときに、ふと、気付いた。その子に、大切なことを聞くのを忘れたのだ。
どうしたら、しゃべる気になるのですか?
と、筆談で聞いたのである。返事は、
あやまってくれたら
そこで、うるさい、うるさい、言った3人の子を立たせた。
「○○くんは、君たちが謝ってくれたら、しゃべるようになるんだって。どうし ますか。」
3人とも「謝る」と言って、きちんと謝ってくれた。
「これでいいですか、○○くん。」
「はい。」
教室に拍手がおこった。
無事、解決である。
今回、「どうしたら、しゃべる気になるのですか?」という問いが、解決の糸口となった。
しかし、最初から、この問いを聞いていても、しゃべるようにならなかったのではないかとも、思う。
私に、しゃべらない、という理不尽さを責められ、親を呼ぶぞと、おどろかされ、「このままではやばいぞ」という思いを抱かせていたからではないだろうか。
その子は、しゃべるきっかけがつかめなかったのだ。
今回、そのきっかけを思いついて、よかったと、思ってる。
もし、あのまま追求して、親まで呼んでいたら、もっと依怙地になって、しゃべらなくなってしまうかもしれない。
そうなったらヤバイな、と思ったこともあって、いったんおいて、授業を始めたのである。
向山洋一氏は、赤鉛筆忘れの指導で、親と話しをすると、その子に宣言したあとで、しばらく授業してから、「もし、あした必ず持ってくるというなら、電話するのは、待ってもいいんだけどな。」と言う。
どうも、この指導から学んでるところが、多いのだと、思う。
(1998.10.17)