いかに読むか

 国語「海のいのち」の続きです。次の発問は、中原先生の追試です。

 クエの目が、仲間の漁師たちには緑色に見え、太一には青色に見えたのは、なぜか。

 全員が書いたものを学級通信に載せ、
『自分が賛成する意見を○で囲みます。』
 最多の33票で選ばれたのが、次の意見です。

 太一はクエのことを死んだ父と思っている。本当にクエが死んだ父なのなら、仲間の漁師は、抜けがらの自分を助けようとし、今の自分を殺そうとしている。その仲間に対しての目と、自分のことを父だと思いまた会いにきてくれると言ってくれる太一に対しての目が同じはずがない。
 緑色の目というのはただ緑色なだけだが、青い目の方は、宝石だとかしんじゅのようだとかおだやかだとかきれいな表現しかかいていないことから、クエは太一に好意を持っているから。

 人数を数えながら、私は何回か、次のように言いました。
『これは人気投票ではありません。どの意見に賛成かで、手を挙げるのですよ。』『意見として賛成かどうかです。』
 さて、2位の24票は、次の意見です。

1)現実的
 水のよごれや、光の反射で見え方がちがった。それと信号の「青色」というのは「緑色」にも見える。
2)非現実的
 仲間の漁師は一流の漁師じゃない。でも太一は村一番の漁師。だから、魚の見え方、魚にたいしての気持ちがちがったから、見え方がちがった。

 この意見を再度読んだ後、①と②ではどちらに賛成するか、聞いてみました。
 わずかに②の方が多かったです。
『ここでは、②のように読んだ方が、この話が面白くなるし、深みが出てくるでしょ。』
 どれが正しいかではなく、どういう解釈をした方が、作品の深みが増すかを考えるべきなのです。
 これで、「海のいのち」の授業は終了です。

(2001.10.26)