ごんぎつねを扱っている文献を検討していきます。
(1) 伴 一孝『伝え合う力を伸ばす「向山型討論」の授業』(明治図書2007)
伴先生が考えられた発問の内、次の2つを使ってみたいです。
「ごんが「つぐない」を始めたのは、いつからですか。」
いわしを投げ込んだ一日目が、つぐないになるかどうかで話し合いになるでしょう。兵十と加助の話を聞いた明くる日が、本当のつぐないと考える子が出れば、すばらしいのですが、まあそこまで深く考えて読める子はいないでしょう。
「ごんが「くり」をもって行ったのは、「兵十のため」なのですか、それとも「自分のため」なのですか。」
これは問われなければ、「兵十のため」と考える子がほとんどでしょう。
だからこそ、子どもたちは、ごんのことを「やさしい」と表現するのです。でも、上記のように問われてみると、いわしを投げ込んだのは後先を考えずの行動であり、結果的に兵十はいわし屋に殴られてしまいます。申し訳ないというごん自信の気持ちを解消するために行動したとも考えられるわけです。寄付やボランティアが、人のためか自分のためかを問うようなものかもしれません。(自分のためにやったことが、人のためになれば、どっちもいいじゃないかと思うのですが。)
伴先生は、「「読解指導」の大まかな組み立て」の中で、
① 「ごんぎつね」の六つの節を、一つずつ要約させる(二〇文字程度・主語が「ごん」の文と主語が「兵十」の文を並記させる)。
と書かれ、その要約文も紹介されています。
この要約の表を見ると、一~三はごんが能動的で、四~六は兵十が能動的となっています。ごんのいたずらやつぐないで兵十に影響を与えた後、ごんは兵十の行動を追いかけ、最後には打たれてしまうわけです。能動から受動へと、ごんが変化しているのです。
ごんが兵十に求愛していく話という解釈もあるので、なるほどと思います。
(2008.8.13)