ごんぎつね文献検討⑥

 理論を実践に活かすのが、いかに難しいか、次の本を読めば分かります。 

(6)渋谷 孝/市毛勝雄編、久能和夫/増田 泉実践『「ごんぎつね」の言語技術教育』(明治図書1997)
 大学教授の渋谷氏と市毛氏の主張は、次の通りです。

 今までの文学教材を使った読み方指導は、文学作品の特質についての理論的知識の伝達を前提にして、文学作品についての知識を考えること、そして文学作品を読んでの感動を喚起するという方向で行われることが多かった。こういう教養趣味的な指導の立場に対して、二十一世紀における文学作品を教材とした読み方指導は、学習者が自力読みが出来るための、読み取りの具体的手立てを教えることにあるとしなければならない。文学教材の文章の語彙、文脈、表現の特徴、文章の構成、作中人物の心情と行動、登場人物相互の関係、思想などの諸特徴を正しい方向で読み取る手立て、すなわち言語技術を学び取ることにあると考えるわけである。(P.8)

 読み取りの具体的手立てが、この本を通して学べるのかな、と期待しました。でも、実践を読んでも、何が具体的な手立てで、どこが今までの実践(二十世紀の実践)とどう違うのか、分かりませんでした。

 指示 ①「えっ?」 ②「そうかなあ。」 ③「うん。」 この三つの兵十の言葉はどのように音読したらよいだろうか。音読で表現してみよう。(P.36)

 久能氏の実践です。第5場面で、神様のしわざと言う加助に答える兵十の3つの会話文に対するものです。「部分音読を取り入れて、登場人物の気持ちを表現させることも大切な言語技術学習の一つである。」と久能氏は言います。
 でも、登場人物の気持ちを推定し、次にそれを表現させる、というのは、子どもにとって難しいのではないかと思います。

 発問 うなぎがほしかったのではなく、ただいたずらがしたかったことがわかる文に線を引きなさい。(P.60)

 増田氏の実践です。この発問(どちらかというと指示)は、いろんな場面で使えそうです。教科書の文から根拠を見つけさせるための方法としては、適しています。
 ただ、「うなぎがほしかったのではなく、ただいたずらがしたかった」という結論を教師から提示していいものでしょうか。私なら、子どもの気付きの中から出た場合に、上記のように取り上げるだけです。
 子どもから出なかった場合なら、久保氏の提案であったように、
「ごんは、うなぎがほしかったんだよね。」
と投げかけて、「ちがうよ。」という子どもの声を受けて、うなぎがほしかったわけではない根拠を教科書から子どもたちに探させます。それから、
「じゃあ、なぜうなぎを取ったんだろう。」と問いかけ、
「いたずらがしたかっただけ。」という答えを子どもから引き出すのです。

(2008.8.19)