ディベートをする気はないですが、学ぶべき点は結構ありました。
(9)岡本明人編『ディベートで「ごんぎつね」を教える』(明治図書1996)
岡本氏は、比較文学の研究者である井上英明氏の論文を引用しています。
日本の新聞によく出る自殺者、それも幼い人たちの遺書に、『先生、盗んだのはボクではありません。信じてください』というのがよく出る。わたしはそんな遺書を読まされるたびに『ごんぎつね』を思い出す。自分の命と引きかえに理解を願う。
死んだ後に理解されても、すなわち兵十が痛恨の涙にくれて贖罪の一生を送ったとしても、ごんは救われないと判断するのが『ハーキン』をよろこぶイギリスの子供たちであり、向こう三軒両隣りの人情の世界で深い感動にさそわれるのが、『ごんぎつね』を愛読する日本の子供、あるいは大人たちでさえあるかもしれない。
(井上英明『異文化時代の国語と国文学』サイマル出版会1990 P.27)
死んで身の潔白を証明するとか、自分の命を犠牲にしてでも何かを為すだとかの思想を私たちは「ごんぎつね」を通して教えてるのかもしれません。
この本では、「黙ってつぐないをすることが望ましい。たとえ死んでも、わかりあえることが望ましい。」という価値観を疑わせるために、次の論題でディベートの授業を行っています。
「ごん、お前だったのか、いつもくりをくれたのは」と言われた時、ごんは幸せだった。
授業前後の子どもの意見は、ほとんどが幸せだったです。
ディベートによって、幸せ派から分からないや幸せでないに変更する子も数名いましたが、多数は常に幸せ派です。
うがった言い方をすれば、最後、兵十に分かってもらえて、ごんは幸せだったと思わなければ、撃たれて殺されてしまうごんが、あわれで仕方ないからではないでしょうか。
ごんが最後に、兵十をうらみがましく見たりしたら、この話は、ほんとうにすくいようのない話になってしまいます。撃たれて死んでも、ごんの最後は幸せだったんだ、という一種の気安めがあるからこそ、このお話は子どもにも大人にも読み継がれているのではないでしょうか。
となると、兵十に気付いてもらえたことをごんはどう思ってたかは、扱わない方がいいように思います。草稿は「うれしくなりました」ですが、そのことを扱うことが、教材を深めることにはつながらないように感じるからです。
数人のディベートの授業記録にも、今まで読んだ他の先生の授業記録にも、兵十がなぜ火縄銃を持っていたのかを扱っているものがありませんでした。百姓は銃を持てません。となると、兵十は猟師です。猟師がきつねを撃つのは、むしろ当たり前のことなのです。
「ごんは、兵十が猟師であることを知っていたか。」はどうでしょう。
(2008.8.23)