火をつけるおかしさ

 昨日の「先生のための学校Ⅱ期」で、久保先生が「ごんぎつね」を扱いました。 第1場面のイントロのところを「普通~なのに、~なのはおかしい」を参加者全員に書かせました。
 その中で、次の文のおかしさが一番大切であることが語られました。

畑へ入っていもをほり散らしたり、菜種がらのほしてあるのへ火をつけたり、百姓家のうら手にあるとんがらしをむしり取っていったり、いろんなことをしました。

 子どもがおかしいと考えたのは、火をつけることです。「そこまでのいたずらをするわけがない」と言うのです。
 久保先生は、「これはデマなんです」と言いました。
 ここはごんのいたずらがどれだけ悪質であったかが語られている場面だと、私は受け取っていたので、「デマだ」という発想に衝撃を受けたのです。
 実は、この文に、新見南吉の言いたかったことが隠されているわけです。
 村から疎外されているごんぎつねが、うなぎの事件をきっかけに改心していくけれど、兵十と分かり合えるまでには至らなかった。その悲劇を生むものこそ、偏見と差別なわけです。
 確かに偏見と差別があるときは、相手のことを悪く言うために、その人がやってない悪さまで、その人のせいにされてしまうものです。

(2008.12.14)