小林豊『世界一美しいぼくの村』を学習します。(東京書籍四年下巻)
アジアの真ん中にアフガニスタンという国があります。めったに雨がふらないので、かわいた土とすなばかりの国のように思われています。でも、万年雪をかぶった高い山が連なり、森や見わたすかぎりの大草原もあって、春になれば花がさきみだれ、夏になれば、果物がたわわに実る美しい自然がいっぱいの国です。
これがこのお話の冒頭です。このお話には、逆接の接続語「でも」がよく出ています。一つめが冒頭です。
ヤモも、兄さんのハルーンと競争でかごいっぱいのすももやさくらんぼを取ります。村中があまいかおりに包まれます。
でも、今年の夏、兄さんはいません。兵隊になって、戦いに行ったのです。
これが二つ目の「でも」です。冒頭と違って、でもの後が暗い内容です。
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ヤモは、心配になりました。勇気を出してよんでみました。
「さくらんぼ!パグマンのさくらんぼ!」
でも、だれもふり向いてくれません。
勇気を出した結果が、報われなかったことを導く「でも」です。
三つ目の「でも」も、二つ目同様、でもの後が暗い内容です。
ヤモはお茶を飲みながら、父さんたちの話を聞いていました。ハルーン兄さんならだいじょうぶ、きっと春には元気に帰ってくると、ヤモは信じています。でも、何だかむねがいっぱいになってきました。
戦争に行った兄が春には帰ってくると信じてるヤモです。でも、むねがいっぱいで不安なのです。これが四つ目のでも、今までと同じパターンです。
ヤモは、父さんにたのんで、白い子羊に「バハール(春)」という名前を付けようと思いました。でも、春はまだ先です。
ヤモが子羊に「春」という名をつけたのは、早く春になって兄さんに帰ってきてほしいからでしょう。今は夏ですから、「でも、春はまだ先です。」は、事実です。事実だけれど、その事実がこのお話に暗い影を投げかけています。
さて、教科書では、11ページのお話です。
その中に、「でも」が五回出てきました。
でも、隠された「でも」がこのお話にはあるのです。
このお話の最後のページは、たった一文しか書かれていません。
その年の冬、村は戦争ではかいされ、今はもうありません。
春になれば花がさきみだれるヤモの住むパグマンの村には、もうそんな春はやってこないわけです。
ヤモは、春になり、兄が帰ってくることを願いました。
でも、その年の冬、村は戦争ではかいされ、今はもうないのです。
(2013.12.7)