「森林のおくりもの」は説明文ですが、教えがいのあるものではないので、サラッと扱います。
最初の問いの文は、3ページ目に出てきます。
下流に下ろされた木材は、では、どのように使われたのでしょうか。
本質を問うような問いではありません。この後は、事例の羅列が続きます。
次の問いの文は、なんと8ページ目です。
あなたは、川の水がなぜなくらないか、考えたことがありますか。水は上から下へ流れています。ですから、いつかなくなってもよさそうなものなのに、なくらないのはなぜでしょうか。
問いの文が一文だけでは成立しません。さらに、この文の続きに、もう一つ、問いが出てきます。
日本のような急しゃ面の国土では、雨は一日で海へ行ってしまってもよいはずです。それなのに、晴れた日でも流れているのはなぜでしょうか。
雨は海へ行ってしまってもよいはず、と書いてあり、晴れた日でも流れているのはなぜ、と聞いています。流れているのは、雨のことではなく、川の水のことです。突っ込みどころが満載の問いの文となってるのです。
次の問いからのところが、国語テストになっています。
森林の土は、なぜ雨に流されてなくなってしまわないのでしょうか。
やっと、まともな問いが出ました。市販テストがここからの文を扱っているのは、これまでの文がテストとして扱いにくかったからなのでしょう。
答えの文は次の文です。
森林の木の根がしっかりと土をかかえて、しゃ面にはりつけているのです。
なぜの答えなのだから、「~からです。」と書いてほしいところです。
次の問いです。
でも、どうして、毎年毎年同じようにお米を作り続けることができたのでしょうか。どうして、土がなくなってしまったり、土地がやせてしまったりしなかったのでしょうか。
問いが3つもあります。平野にある水田の土がなくなるという前提の上で問いが出されてます。でも、平野の土がなくなると思ってる読者はほとんどいないはずです。土地がやせることの説明もありません。独りよがりな問いなのです。
では、その森林はだれのおくりものでしょう。それこそは、大昔から先祖たちが植えついで、現代のわたしたちにおくってくれたかけがえのない遺産なのです。
一文目が最後の問いです。そして、二文目が答えの文になってます。
森林は、自然のおくりものでしょう。植林のおかげもあるけれど、結局、人間が伐採し、それを補うためにやってることです。自然の恵みに感謝すべきことではないでしょうか。
(2012.12.2)