教室を半分にして、廊下側が「だから」を使った文、中庭側が「しかし」を使った文を作らせました。
何も言わずに書かせると、主語なしが多くなります。
・友だちがあるいていた。だから、声をかけた。主語なし
・料理をがんばった。だから、うまかった。句点なし
・私はひまだった。だから友達とあそんだ。
・くつがなかった。だから一そくかった。主語なし
・今日はさむかった。だからマフラーをつけた。主語なし
・みかんがおいしい。だから、いっぱいたべた。主語なし
・歩いているおじいさんを殺した。だから、たいほされた。主語なし
・エビフライを食べた。だから、海老のあげた味がした。主語なし
・ハサミが家に、一つもなかった。だから、買いに行った。主語なし
・5000円もっていた。だからウルトラスーパーデラックスをかった。
・ともだちとあそぶやくそくをして学校ではしってかえった。だからまにあった。主語なし
・わたしはおはなをおばあちゃんにあげた。しかしおはなをつぶれました。
・わたしは出かけた。しかし買うものがなかった。どこへ出かけた?
・ぼくは八時十分くらいに学校に着いた。しかし、早すぎた。
・今日は五時間目だ。しかし、習い事がある。
・私はおなかがいっぱいだった。しかし、私はまだ食べた。
・計算をたくさんおぼえた。しかし次の日は、計算をほぼわすれてた。
・僕は、遊びに行った。しかし、歩いて行った。説明不足
・とけいがうごかなくなった。しかしでんちがでかすぎた。説明不足
・わたしは、お金がない。しかしたかいアイスを買った。
・つなひきで、力いっぱいだした。しかし、負けた。主語なし
教科書では、「だから」でも「しかし」でも入れられる文が紹介されています。
・徒競走のとき、必死で走った。( )、二位だった。
・八時に家を出た。( )、集合時間に間に合った。
・たんすは衣類でいっぱいだ。( )、あと一着だけ買った。
こうみると、教科書の文も主語が省略されています。教科書の文を先に学習していますから、それに影響されて、主語なしになっても仕方がないのかもしれません。
接続語が、「だから」と「しかし」でどう意味が変わるかというのは、結構、難しいようです。「徒競走のとき、必死で走った。だから、二位だった。」には、いつもは三位以下という意味が含まれ、それが「しかし」になると、一位になりたかったけどダメだったという意味が含まれてくるわけです。
(2008.12.3)