マルチ発問の功罪

 全員発言によって、発言への耐性をつける。

 これは、学級開きの授業から必要なことでしょう。全員発言をさせるために役立つ発問が、マルチ発問です。
 では、マルチ発問を中心に、ずっと授業をしていったらどうなるでしょうか。
 マルチ発問では、正解がたくさんあり、むしろ、何を言っても正解になります。それゆえ、数だけなら、適当に思いついたことを書いてもいいわけです。
 適当に思いつけるのも、一つの能力であり、認められるべきものです。ただ、それはいい加減さにもつながります。
 例えるなら、同じ重さで筋力トレーニングを続けるようなものです。筋肉は、同じ重さに慣れてしまい、それ以上、筋力をアップしてくれません。
 そこで、セレクト発問の登場となるわけです。

 2つの内、正解はどちらか1つを選ばせ、その理由を書かせる。そして、その理由を発表すると、その理由についての反対意見も出される。また、自分も友達の理由に反対意見を言っていく。

 この過程を通じて、自分の理由を反対されないものにしようと、頭をひねります。マルチ発問に対するいい加減さに対して、セレクト発問には厳しさがあるのです。(それゆえ、学級開きにセレクト発問は適しないわけです。)

(2008.12.31)