なぜ、全員発言が必要なのか。
それは、一人一人全員に自分の頭で考えさせるためです。
困ったことに、その子が頭を使って考えているか、ただたんにボウッとしているだけか、こちらが見ただけでは分かりません。
頭を使って考えているかを確認するために、ノートに書かせたり、発言させたりするのです。
「賢くなるために、頭を使え。」
こう言っただけで全員が考えるようになれば、苦労もないのですが。
やる気のない子どもになって考えてみます。
「あ~あ、まだ授業が始まっちゃった。ボウッとしてよう。」
でも授業が始まれば、教師から指示がある。教師の話だけならボウッとしてられるけど、「1回読んだらすわりなさい。」とか「ノートに写しなさい。」とか作業指示をされたら、やらざるをえない。(やらなかったら怒られるから。)
教師が問題を出して、挙手発言で答えを子どもに言わせてるときは楽だ。手さえ挙げなければ当てられることもない。たまに指名されても、「分かりません。」とか「考え中です。」とか言っておけばすむ。
「この写真を見て、気がついたことを3つ書けたら持ってきなさい。」
3つ書いたら板書しなくちゃいけないからなぁ。でも1つも書いてないと、
「まだ1つも書けてない人、立ちなさい」
とか言われるかもしれない。1つ書いたら、あとは考えてるふりしようっと。
☆ ☆
マルチ発問を使っていても、こういう状態は想定できるのです。
とるべき方針は、いくつかあります。
【強引に】
・「3つ書けてない人は、3つ書けたら休み時間です。」
・「5つ書けてない人は、5つになるように黒板のを写しておきなさい。」
【気長に】
・たくさん書けている子、よく考えた意見を書いている子をほめる。
・1個でも書けてたら、よしとする。
・評定をつける。(例:5個で5年生レベル、10個で6年生。)
どれも小手先レベルという気はします。
正攻法でいくならば、自分の頭を使って考えることの大切さを普段から、いろんな事例を元に話していくことです。
人生では、困ったことにいくつも遭遇します。それら困難をいかに切り抜けるかは、解決策が思いつけるかどうかにかかってきます。普段から頭を使って考えているほど、どうすればいいかの方法をいくつも見つけることができるのです。
(2007.12.29)