学級崩壊の相談に答える

 落ち研・夜の分科会が終わったあと、2年生でクラスが崩壊しているという先生の相談にのりました。いろいろ話を聞き、具体的なアドバイスをしてると、私自身もすごく勉強になったのです。
 学級の様子は、まず朝のことから聞きました。
『朝、職員朝会があって、先生が来るまで、子どもは何をしてるのですか。』
 日直や係の子が、九九のテープをかけ、みんなで歌うことになってるそうです。でも、言うことを聞かないで、勝手に立ち歩いてる子がいるそうです。

全員がすわってする何かを教師が用意しておく。

  学級崩壊してるようなクラスを他の子どもが仕切って、何かをできるわけがありません。
 簡単にできるようなプリントを渡し、終わったら裏に絵でも描かせておく。
それでもやってない子は、休み時間でもさせるのです。
 休み時間でのさせ方も、宿題忘れと同じ、1時間目の授業を5分ほど早めに終え、全員立たせ、プリントをやってない子だけすわらせ、他の子は休み時間、すわらせた子には、やるべきことをさせるといいわけです。(つづく)

(1999.12.25)

 とにかくおしゃべりが多くて、教師がカッカしてしまう、と言います。
 実際、私がこの前まで受け持ってたクラスもよくおしゃべりします。
 でも、それでカッカしても、結局いいことはないのです。
 その先生は、「先生が手の平のみんなに向けてあげたら、静かにする」という約束を作ったそうです。
 でも、約束を不用意に作ると、約束を守らない子を守らせるために、苦労するのは、確かです。
 教師の手をあげる動作を見てない子もいるだろうし、見てもしゃべってる子も出てくるでしょう。
 教師が決めた約束を全員に徹底できないことが、学級崩壊を助長してしまう可能性だって、あります。

子どもがおしゃべりしてたら、フラッシュカードを見せる。

 私がするアドバイスは、できるだけ具体的行動としてできるよう、心掛けて言いました。「もっと心静かに」「カッカしてはいけません」と気持ち面でいくら助言しても、その通りにはなかなかできないものだからです。(つづく)

(1999.12.26)

 フラッシュカードは、次のように見せていきます。

(表)9×3 (子ども)くさん27 (裏)27
(表)9×8 (子ども)くは72 (裏)72

 教師がフラッシュカードの表の式を見せ、子どもが答えを言うスピードぐらいで、裏の答えも見せていいわけです。
 そんな風に、めくりながら、フラッシュカードをくり返します。
 でも目的は静かに話を聞かせることですから、途中で右手に1枚だけ持ち、残りのフラッシュカードは後ろ手にして見えなくします。

(表)9×4 (子ども)くし36 (裏)36

 たいてい、この後、シーンとしてます。(シーンとしてなかったら、再び、フラッシュカードを続ければいいです。)
 シーンとしてる中で、すかさず、大切な指示を一つすればいいのです。

教師の大切な指示が、シーンとした中で言えるようにする。

  この後、各教科(国語・算数・生活・体育)に関わって、具体的なアドバイスをしてみました。抽象論では学級崩壊は救えません。(つづく)

(1999.12.27)

 教師は、だいたいにおいて、真面目な人に多い。
 真面目ゆえに、形式的なことを疑いもせず「しなければいけないこと」と思って、実行してることが多いのです。
 例えば、授業開始の挨拶。真面目ゆえに、全員がそろうまで待つから、なかなか揃わなくてイライラしてしまう。真面目な子は、早く来ているのに待たされるから、もう少し遅く帰ってきてもいいんだ、と思ってしまう。
 例えば、給食。全員の用意ができないと、「いただきます」をしてはいけないと思ってしまう。
 例えば、帰りの挨拶、全員が帰る用意をして揃うまで、待ってしまう。
 これらのことを、学級崩壊したクラスで守らそうと思うと、子どもも教師も疲れてしまいます。

全員が揃わないとできない、という場面を減らす。

 授業はチャイムが鳴り終わったら始める。
 給食は、揃った班から「いただきます」をする。
 帰りの挨拶も、帰る用意のできた班や個人から「さよなら」をする。
 そんなやり方をしてもいいのです。(もちろん、他のやり方でもいい。)
 要するに、「こうしなければいけないものだ」という思いこみが、教師を追い込んで苦しめてしまうことがある、ということに気をつけなければいけない。

「こうしなければいけないものだ」という思いこみは、授業のやり方でも現れてきます。
「国語なら、わからない言葉はなくし、深く検討し、いっぱい発表させる。」
 こんなに要求するのは、大変です。

国語は、漢字と音読ができてればいい。

 文章の内容については、簡単な問いをどんどん出して、ノートに答えを書かせ、正解を告げ、丸をつけさせるぐらいでも、いいのです。
 もちろん、分析批評とか、より高度なものを要求していってもいい。
 でも、それは日常的指導が普通にできるようになっての話なのです。

算数なら、教科書の問題ができればいい。

 このぐらい簡単に考えて取り組むと、肩の荷もおりるのではないでしょうか。

(1999.12.29)