いよいよ今日で、今年が終わり、1999年が終わり、1000年代が終わります。
J.トレーガーの『世界史大年表』(平凡社)で、紀元1000年に何があったのか見てみました。
ノルマン人のレイフ・エリクソンが、グリーンランドからノルウェーへの帰途に、暴風のため西方に流されて西半球を発見する。のちにニューファンドランドあるいはノバ・スコシアと呼ばれるようになる陸地におり立ったあと、エリクソンはグリーンランドに引き返し、ブドウと野生の小麦の生い茂るビンランド(ワインランド)について報告する。
ノバ・スコシアというのを『総合大百科』(マイクロソフト)の「百科地球儀」で調べたところ、現在のカナダの東の方にあります。
ということは、エリクソンはアメリカ大陸を発見したことになります。
でも、アメリカ大陸の発見は、コロンブスによる1492年です。
1000年から492年後ということになりますね。
レイフ・エリクソンについて、『総合大百科』の「百科事典」で調べてみると、ノルウェーの歴史に中に載っていました。
1バイキング時代
小国の王たちが船と海に注目したのは当然のことだった。800年ごろには略奪遠征がおこなわれるようになり、バイキング時代が幕を開けた。略奪者であると同時に商人、植民者、探検家でもあった北海のバイキングは、875年ごろ、アイルランド、イギリス、アイスランドなどに植民した。985年には「赤毛のエリック」がバイキングをひきいてグリーンランドにむかい、その数年後には彼の息子のレイフ・エリクソンが北アメリカへの探検にでかけた。フランスに植民したバイキングはノルマンディ地方のノルマン系住民の先祖となった。
『世界史大年表』に載っている別の記述も見てみましょう。
インドの数学者シュリーダラが零の重要性を発見する。
1000年という0が3つ並ぶ年に、「0の重要性を発見する」というのは、無関係じゃないような気がします。
来年は2000年ですから、もっと「0」について考えられるかもしれません。
ところで、『総合大百科』には、シュリーダラという人は、出ていませんでした。ただ、「零」の項目に次のような記述があったのです。
ゼロの記号が発明されたのは、他の数の記号よりずっと後のことである。つまり、バビロニア人が数の記号をつかいだしたのは前3000年ごろ、ゼロが最初にとりいれられたのは、紀元後のことである。最初のゼロは、計算につかう数としてでなく、123、1203、1230、1023といった数の間の区別をしめすために考えだされたものだった。1世紀ごろマヤ人は、小さな楕円の中に線のはいった、目を半分ひらいたような形の記号を、0をあらわすためにつかった。その約500年後、インド人が、円または点をゼロをあらわす記号としてつかいはじめ、ゼロを数の中にとりいれて計算をおこなうようになった。その後、こうしたゼロをもちいた記数法が、インドからアラビアをへてヨーロッパにつたえられた。ゼロに対するサンスクリット語は、空もしくは無を意味するsunyaである。この語は、アラブ人によって翻訳されてal-sifr(アル・シッフルとよむ)となったが、これは英語で暗号を意味するcipherやzeroの語源にあたる。
太字にした部分で、インド人が出てきてます。1世紀から約500年後なら、6,700年だと思うのですが、そこがちょっと不明確ですね。
『世界史大年表』には、日本についての記述もありました。
日本の中宮定子の女官が記した《枕草子》が世に出るのは、このあと15年くらいのあいだである。清原元輔の37歳の娘清少納言の手になるこれらの論評や随筆には、痛烈な批判や洗練されながらも歯に衣を着せない表現が随所に見られ、この日記は以後何世紀にもわたって多くの読者をひきつける。
「枕草子」は、多くの人が知ってるので、
『「枕草子」が書かれてから、ちょうど1000年たったんだよ。』
と、言うのも、学があってかっこいいですね。
もう一つだけ、『世界史大年表』の1000年の記述から紹介します。
推定のキリスト生誕1000年祭を迎え、最後の審判と世の終りの恐怖がキリスト教世界に広まる。
今、明日に2000年を迎えようとして、「世紀末」とか「ミレニアム」という言葉が、世間に広まっています。
ちょうど1000年前も同じようなことを言ってたんだな、と思う次第です。
今回の場合、1000年場合と違って、コンピューターの2000年問題というのが具体的にあります。
何かが起こる可能性が、気分的なものではなく、科学的に存在するわけです。
明日も、この日刊考現学が書けることを祈って!
さよなら1999年。(さあこい、2000年!)
(1999.12.31)