比べる国語の授業

 昨日、5年生の研究授業がありました。「和紙の心」という説明文の授業です。
 授業の流れがスッキリしていて、いい授業でした。
 最初に扱う場面の一斉読。段落ごとの個人読。
 問いの文を見つけさせ、次に答えの文も見つけさせます。
 答えの文の「このように」を受けて、和紙と洋紙の違いを表にまとめていく。
 そういう流れです。
 研究討議会で気になる点を3点言いました。
 1点目は、答えの文を決定する時、軽い説明がなかったことです。正しく選べてなかった子もいました。なぜそれが答えの文なのか、軽くでもいいから説明して、間違えている子に納得させる必要があります。
 2点目は、比べる表の書かせ方についてです。
 短い文でまとめる子もいましたが、教科書の文をそのまま丸写ししている子も多かったです。(接続詞まで写している子もいました。)
 これはまとめていることになりません。
 できるだけ短い言葉でまとめられるようにしないと、自信のない子は、該当しそうなことを丸写しするだけになってしまいます。
「最初に、1つ例を出させてから、やっていけばよかったのでは。」
という代案を出しました。
 最初の項目、原料の違いのところだけを数パターン発表させて、どのまとめ方がいいのか評価しておけば、クラス全体が短くまとめて書こうとしたでしょうね。
「木の皮です」じゃなくて「木の皮」だけでいいわけです。
 3点目は、違いを比べるなら、2つの違いを1つの文になおさせることもしたらいいのではないか、とういことです。
 和紙と洋紙の原料の違いについてならば、
「和紙の原料は木の皮で、洋紙の原料は木の幹です。」
というように一文でまとめさせると、その違いがはっきりするからです。
 以前、理科で、メダカの子どもと、発芽したインゲン豆を比べさせた時は、「メダカは動いて、インゲン豆は動きません。」という一文で書けていましたから、できないはずはありません。
 さて、今回の授業を発問から分析すると、
 最初が集中的発問で、後半が拡散的発問となります。
 後半をもっとメインにするなら、どのまとめ方がいいのか、集中的に検討したらいいかな、と思います。
 拡散的発問だけで終わる授業は、学びの深みがやはり薄いように感じます。
 しっかり、これが学べたというのが出るように、教師が焦点を絞っていく筆表があるようです。

(2006.2.8)