「言葉を大切にする」のは、何のためかの答えが、出口汪『出口の現代文革命』(東進ブックス)に載っています。
例えば何でもいいから、今から一切言葉を使わないでものを考えてごらん。あるいは、ものを感じてごらん。言葉を使っちゃいけないよ。できた人いる? 「先生はいったい何を言いたいんだろう?」と思った人、それを言葉を使わずに思ってごらん。できないでしょう。あるいは「難しい」、言葉を使わずにそれを思ってごらん。「暑い」、「眠たい」、どう? 無理なんだよね。
言葉を使わない状態、これを「カオス」といいます。「混沌」。犬や猫は、多分混沌でしょうね。犬や猫は、つらいとも悲しいとも思えないんです。言葉がないから。
一方われわれは「言語=思考」であり、「言語=感覚」なんです。わかる? われわれは言葉でものを考え、言葉でものを感じている。ならば、その言葉の使い方を、若いときに知るだけで、僕はその人生が変わると思う。豊かなものになるのか、あるいは貧弱なものになるのか。あるいは、人と人、男と女の関係も違ってくると思う。思考もそうなんです。
だから、抽象的な言語ができない人、わからない人は、抽象的思考ができない。これも怖い。
思考と感覚を豊かにするためには、豊かに言語を学ぶ必要があるのです。
(2008.1.2)